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映画人たちの声に耳を澄ませて。 映画的映画『ケイコ 目を澄ませて』、公開
What makes a movie / her run?

映画人たちの声に耳を澄ませて。
映画的映画『ケイコ 目を澄ませて』、公開

定額のストリーミングサービスが乱立するいま、なぜ映画は映画でないとダメなのか。多くの映画監督がこの命題を自問自答してきたでしょう。12月16日(金)公開の映画『ケイコ 目を澄ませて』は、まごうことなき傑作であるのは間違いないとして、ストーリーとは別に、作品を通してその問いへの一つの答えになっているのかもしれない。監督の三宅唱、主役の岸井ゆきのを迎えて、映画愛がほとばしるロングインタビューをお届けします。なぜロングなのか。これを読めば、この映画がみんなのチームワークで成り立っているということ、そして気遣いや心の機微を大切にして出来上がった映画だということがわかるはずだから!

  • Photo_Go Itami
  • Text_Shinri Kobayashi
  • Edit_Yuri Sudo

監督からの冒頭10分のメッセージ。

ー三宅監督は、映画の最初の10分が重要だと考えているという発言を以前されています。冒頭のシーンに聞こえる、氷を噛み砕く音やペンを走らせる音などから、この映画は音に関する映画ですというメッセージを個人的には感じました。

三宅:今回の主人公・ケイコさんは生まれつき耳の聞こえないひとという設定ですが、自分の周りには身近にそういう方がこれまでいなかったので、撮影の準備としてさまざまな方とお会いしました。そのとき、自分はいま耳が聞こえる人間なんだな、そういう人間として育ったんだなということを意識するようになったんですね。

恥ずかしながら、耳が聞こえることがあまりにも自分には当たり前すぎて意識もしてこなかったのですが、直接お話を伺って、まずは知るところからはじめました。たとえばいまこのインタビュー中に電車の音が聞こえていますが、意識もしていなかったものを意識させられる経験をしたことを出発点にして初めて、目の前にいるひとは耳が聞こえていないかもしれないと想像しはじめられるんじゃないかと感じました。聾(ろう)の方と言っても、片耳だけとか、難聴のレベルもひとによって相当ちがうので、正確なところは絶対わかり得ないし、追体験もできない。あくまでもまずは自分のことを改めて認識する、次にようやく聾のひとたちと部分的かもしれないけど、コミュニケーションをとりはじめることができるかもと思ったんです。

ーすごく丁寧で、真摯的なアプローチですね。

三宅:耳の聞こえる聴者として育った自分としてやれる最大限のことは、たぶんそこからしか出発できないなと。この映画のオープニングも、音が聞こえるということで耳の聞こえるお客さんの感覚が開かれていくような、そういう10分にしたかったんです。あわせて、視覚的に見える世界も普段見慣れているものとはすこしちがうようなタッチで始まっていくことで、とにかく最初の10分は耳だけ、というよりも耳も目も全身を使って、全然別の…、いや、違うな…見慣れてる風景をすこしだけ違う形で捉え直すような10分にしたいと。10分でその感覚を切り開いてもらえれば、その後ケイコさんの99分の物語を一緒に観ることができるかなと。

ーすごく感覚的でありつつも、ロジカルにつくられたオープニングなんですね。

ー岸井さんにお伺いしたいのですが、岸井さんと、聾のケイコという役には、聞こえる・聞こえないという線引きがあるのかなと。ケイコに近づくためには、どんなアプローチをしたんですか?

岸井:私が耳が聞こえるということとケイコが耳が聞こえないことに線があるとは思ってなかったんです。なので、もうとにかく話を聞くことをしました。手話に協力してくださった東京都聴覚障害者連盟の方に、どんな生活をされて、どうやってコミュニケーションをとるのか、とか。

この映画のなかで好きなシーンがあって、時刻セットされて動き出した扇風機の風を感じることで、ケイコが朝起きるというシーンがあるんです。私が知らなかった、そういう日常の風景に触れるなかで、自分のなかにケイコの感覚を取り入れていった気がします。音が聞こえない世界を生きることによって、耳が聞こえるひとと何か大きく考え方が変わることではないなと。耳が聞こえるひとがさまざまな性格を持っていろいろな生き方をするのと同じですね。

三宅:なるほどね。“男女”みたいな大カテゴリーで捉えずに、単純にそのなかのひとりのケイコである、みたいな。そういうことは僕も考えていました。聾のひとにも賑やかなひともいれば静かなひともいて、いろいろな性格のひとがいるのは当然なので、ぼくらの仕事は、ろう者に対する先入観などをなるべく取っ払って、あくまで原作者の小笠原さんがどういうひとか、彼女をモデルにしたケイコはどんな人物なのか、そこを考えてましたね。

岸井:そこに何か大きな壁とか段差があるっていう印象は最初からなかったですね。ストイックにボクシングをやって、耳が聞こえない役って、一見制約がたくさんありそうじゃないですか。でも、ケイコという役が今まででいちばん自由だったような気がします。それは、この映画がケイコの日常に基づいたストーリーになっているからで、ケイコをカテゴライズせずに動かしてもらえれば、どうにでも動けるような気はしていました。常に私がケイコとしていられたら、きっと何をしても感情は繋がって、生活は繋がっていくはずだし、ケイコであることに対しての自信はありましたね。

三宅:最初、僕が原作者の小笠原さんに惹かれたのも、彼女の自由なところでしたね。発言とかもそうだし、諦めてもいいかもしれないボクシングをそれでもつづけるというところに、ある種の自由さを感じました。カテゴリーの壁を突破できる自由さと言えばいいのかな。そこに惹かれたんだと思います。それを岸井さんが感じ取ってくれていたのはうれしいことです。

ー岸井さんがケイコであることを許される現場だったということですよね。三宅監督と岸井さんは、どんなコミュニケーションで現場をつくっていったんですか?

三宅:岸井さんの演じるすばらしいケイコに引っ張られつつ、どう捉えるかという話をスタッフとはたくさん話した気がするんですけど、岸井さんと何か話しましたっけ?

岸井:ケイコはこういうひとだよねという話は、なかったと思います。

三宅:そうだよね。

岸井:それよりも縄跳びをどう飛ぶか、あのフックの出し方って…という話をしていましたね。ボクサーであるケイコが他人とボクシングという共通の話題で話して、ボクサーとしてのケイコはこういうことを感じて、考えているということを自分なりに受け止めていました。

三宅:そう。岸井さんがケイコでいてくれたので、僕は岸井さんを撮ったとも言えるし、ケイコを撮ったとも言える。その区別がもうないんです。ところで岸井さん、もう全編通してこの映画は観れましたか?(笑)

ーえ、観れていないんですか?

岸井:まだです。泣いちゃって観れないんです。

三宅:なぜか僕から言ってもいいですか?(笑)。映画の最後で試合があるんですが、そこで勝ってうれしくてなのか、負けて悔しくてなのかは映画を観ていただくとして、ケイコ本人の気持ちとして泣いてるんです。そんなことがあると想像できますか? 僕が邪推して、撮影中のいろいろな苦労や思い出含めて涙が止められないんだろうなと思っていたら、そうではないと。単になぜ私(ケイコ)はあの試合のあのときにこうだったのか、と涙を流していると。

ー大げさではなく、本当にケイコそのものだったんですね。

INFORMATION

映画『ケイコ 目を澄ませて』

劇場公開日:2022年12月16日(金)
監督:三宅唱
原案:小笠原恵子「負けないで!」(創出版)
脚本:三宅唱、酒井雅秋
キャスト:岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和
制作プロダクション:ザフール
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
公式サイト
公式インスタグラム
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