俺が履けるガラスの靴はどこかにある。

ー先述の音楽活動をストップして、俳優業に専念したというのは、両方だと中途半端になるからですか?
窪塚:Netflixの撮影と宣伝とかで、日本とロンドンで9ヶ月くらいは音楽ライブができないということが決まって、いっそのこと活動休止しようと。ちょうど27曲入りのアルバムを作ったところだったので、割とやりきった感があって、1回ここで区切ってもいいかなという気持ちになれたから。トータル10年くらいやり続けたしね。
ー役者としての窪塚さんの帰還を我々観客としても待望していましたよ。あと、今回の作品のテーマが「シンクロニシティ」ですが、なんとなく窪塚さんは、シンクロニシティをすごく呼び寄せるんじゃないかなと。
窪塚:20代の前半くらいからその言葉を意識するようになったけど、実はそこには何か大事なメッセージがあって、それに導かれるように前に進んで、生きてきたんだなと。これまでは明確に言葉にはしてこなかったけど、そういう神秘的なことは、実は見えない薄壁一枚の向こう側では常に起きている。この作品を観てもらうとわかるけど、全てを偶然と思うか、必然と思うかで言えば、俺は圧倒的に後者なんですよ。じゃあ何のためにそれが起こるのかと言えば、良くなるために起こると思ってて。
良い悪いと言っても、人それぞれの価値があるから、俺にとっていいことは、あなたにとってはよくないことかもしれないけど、俺にとってはいいことなのは間違いないわけじゃない? つまり、全員履けるガラスの靴はないけど、絶対に俺が履けるガラスの靴はある。それを発見するために全てのことが起きていると信じているんです。一見ネガティブでやばいことが起きてピンチであればあるほど、実は逆転する糸口を発見するヒントが詰まっていて、トライ アンド エラーで言うところのエラーによって成功へとたどり着けるはずだと。まずトライしなきゃエラーもないんだけどね。エラーしないとサクセスは起こらない仕組みになっていて、大失敗することはつまり大成功するための鍵を持ったということだと思うんだよね。


窪塚:山本KID(山本“KID”徳郁)くんもよく言ってたけど、観始めると秒でむかつくけど、負けた試合ばっかり観ているんだと。勝った試合は勝ったんだからもういいじゃん、なんで負けたかを観て考えるからいいんだよって。じゃないと次に勝てねーじゃんって。
より良くなるために、より強くなるために、よりかっこよくなるために、より自由になるために、嫌だと思うようなことも含めて起きているんだと思ったら、コロナも戦争も作為・無作為関係なく、余計な腹立たしさも感じない。もちろん怒るときは怒るべきだけど。ちょっと仏教みたいなことを言うと、全てを許すことができるという考え方の出発点にはなるかな。まあ、できるかどうかは修行だと思うんだけど。
ー悟りに近いですね。今回の作品の撮影を通じて、転落事故を捉え直したりと、ある意味この作品でもう一度役者としての面白さを改めて感じられたんじゃないですか?
窪塚:そうそう。引き出しとかよく言うけど、役者は小手先じゃない、良い引き出しをいくつ持っているかによって、大きく未来が変わるんだなって。
