デザイナーを公表しないアノニマスなブランドでありながら、着実にその存在感を高めている〈シティー カントリー シティー(City Country City)〉。そんなブランドの実態を探るべく、設立当初から親交の深いクリエイターたちへのインタビューを行う連載企画。謎のブランドの気になる中身を、あらゆる角度から迫っていきます。
今回登場するのは、〈シティー カントリー シティー〉、そして〈イズネスミュージック(ISNESS MUSIC)〉と共に、トリプルコラボのTシャツをリリースしたばかりの下北沢のショップ「RANA-MUSICA RECORD STORE」のRyo Nakaharaさん。音楽と密接な関係にあるこのブランドの、ファッション以外の側面について語ってもらいました。
共通言語はハウス・ミュージック。
ーNakaharaさんと〈シティー カントリー シティー〉のつながりを教えてください。
Nakahara:むかし、一緒に遊んでたんですよ。いわゆるクラブ仲間ですね。当時、ぼくは「シスコ」というレコード屋の新宿店で働いていて、いま〈イズネス〉というブランドをやっているキシタさんと仲が良かったんです。そのつながりで、いま〈シティー カントリー シティー〉をやっている人と仲良くなって。「シスコ」にもよくレコードを買いに来てくれていました。
ーキシタさんも一緒に遊んでいたということですね。
Nakahara:キシタさんは当時、原宿にあった「パーヴ(PERV)」というお店で働いていました。そこはDJ HARVEYと親交があったMARBOさんという方のお店で、服だけじゃなくて、レコードとかも扱っていたんです。それでぼくは「パーヴ」に遊びに行って、キシタさんは「シスコ」にレコードを買いに来て、という間柄だったんです。
ー具体的に何年くらいの話ですか?
Nakahara:90年代の終わりから2000年代にかけてですね。西麻布のイエローによく遊びに行ってて。
ーみなさんの共通言語は、やはりハウス・ミュージックだったのでしょうか?
Nakahara:そうですね。ぼく自身も「シスコ」でハウスの担当をしてたというのもあるんですけど、やっぱりハウスはすごく聴いてました。
それと、DJ HARVEYがイエローでプレイしたときはよく遊びに行ってました。いまでこそ、彼が来日すると箱がパンパンになるくらいお客さんが入ってますけど、当時はまだ人が少なかったんですよ。でも、やっぱりカルト的人気があって、一部の熱狂的なファンが踊りに来てました。当時は“NU HOUSE”なんて呼ばれてましたけど、Idjut Boysとか、その辺りのDJたちがフィーチャーされるようになったのは、HARVEYによるところが大きいと思いますね。
ー当時のパーティの空気感は、どんな感じだったんですか?
Nakahara:80年代の流れを引き継いで、やっぱりバブリーでしたよ(笑)。ブースの中でみんなシャンパン空けてる、みたいな。HARVEYのパーティはまたちょっとちがうイメージでしたが。
WARの『City Country City』。
ーそうした場所で多感な時期を過ごしたわけですね。その後は交流はあったんですか?
Nakahara:ずっとなかったですね。というのも、ぼくが渡米して、2001年から2006年までニューヨークにいたんです。再会したのは〈シティー カントリー シティー〉をはじめてから。キシタさんや、DJ NORIさんが着ているのをインスタで見かけて、気になっていたんですよ。そしたら、むかし一緒に遊んでいた仲間がやっているブランドだと知って。
ー〈シティー カントリー シティー〉というブランド名が気になったということですか?
Nakahara:そうですね。デザインや、そのブランド名から。音楽というカルチャーを背景にしたブランドだというのはすぐにわかりました。
ーWARの『CITY COUNTRY CITY』は、LOFT CLASSICとしても知られ、あのデヴィッド・マンキューソがプレイしていたことでも知られる曲です。
Nakahara:デヴィッド・マンキューソは、パーティ・カルチャーの重要人物ですよね。彼がニューヨークでやっていた「The Loft」は、プライベートパーティでしたけど、90年代にぼくも遊びに行ったことがあって。当時は『remix』という雑誌があって、そこに毎月「ロフト・チャート」というのが掲載されていて、「The Loft」でかかっていた曲が紹介されていたんです。ぼくらレコードバイヤーはみんなそれを気にして仕入れに反映させていました。
ーこのお店にも、彼の写真が飾ってあります。
Nakahara:ぼくがニューヨークにいた頃、「The Loft」のお手伝いみたいなことを少ししていたことがあったんです。むかしは本当にデヴィッドの家でパーティを開催していましたが、ぼくがいた頃はイーストヴィレッジにあるウクライナレストランの2階のスペースを借りてやっていました。ぼくはそこに機材を運ぶ手伝いなどをしていました。
ーそれってすごいことですよね。
Nakahara:ぼくがいた当時のデヴィッドの家は広くなかったんですが、ここにあるスピーカーと同じメーカの上位機種が置いてあって、それでラジオをずっと聴いていました。他の機材のほとんどが倉庫に置いてあって、それをぼくたちが運んでいたんです。
あと、いまになってすごく後悔していることがあって。ぼくは一度だけデヴィッドにインタビューしたことがあるんです。そんな人はあんまりいないと思うんですけど、当時はレコーダーとか持ってないから、聞いたことを全部メモに書き留めたんですけど。英語も拙い中でのインタビューだったので、彼の言葉を抜粋してなんとか記事にしたんですよ。だから音声を録音しておけばよかったと、本当に後悔してますね。デヴィッドの肉声が残っていたら、かなり貴重だったはずなので。
ーNakaharaさんから見て、デヴィッド・マンキューソはどんな人物でしたか?
Nakhara:すごく柔軟な人だと感じていました。WARの『City Country City』のようなクラシックも聴きながら、一方では新しい曲もどんどん取り入れていました。彼の身近にいる人が新しいレコードを持ってきて、「この曲どう?」って聴かせるんですよ。そうすると、次のパーティでその曲がかかっていたりして。そういう柔軟なところもすごいなぁと思いながら眺めていましたね。
ーデヴィッド・マンキューソは音楽を追求していたのか、それともパーティを追求していたのでしょうか?
Nakahara:これはぼくの個人的な解釈ですが、なにも追求していなかったんじゃないでしょうか。パーティは彼にとって重要で、生活の一部だったのだと思いますが、パーティーのクオリティをどれだけ上げられるかっていうところには、それほど気を使っていなかったように思います。
それよりも、彼がこだわっていたのは“音”そのものだったと思います。デヴィッドにはアレックス・ロズナーという信頼するエンジニアがいて、何かあればアレックスが彼のもとを訪ねてアドバイスをしていました。デヴィッド・マンキューソはDJというか、選曲家ではあったけど、エンジニアではなかったので。ただ、その勘みたいなものはとても優れていたし、そこが彼の凄いところのひとつなんじゃないかと思います。
そのDNAは、いまの日本のクラブシーンにもしっかりと伝わっていて、国内でも音をよくしようという箱が増えてますよね。むかしもそうだったのかもしれないですが、むかし以上にそうした姿勢を強く感じる機会が増えてきました。札幌のプレシャスホールや、八王子のシェルター、青山ゼロ、それに神宮前のボノボなんかは、本当に音が良いと思いますし、その他にもたくさんのお店が音を良くしようと努力しています。それはデヴィッドの影響が強いんじゃないかと、ぼくは思ってます。
2ブランドを引き合わせられるアカウントは限られる。
ー〈シティー カントリー シティー〉の話に戻りますが、Nakaharaさんがこのブランドをはじめてご覧になられたときに、どんな印象を持たれましたか?
Nakahara:「あ、かっこいいな」って、単純に(笑)。むかし一緒に遊んでいた友達がやっているとは知らなかったので、インスタグラムの画面を見ながら「キシタさんやNORIさんも着ているけど、俺も欲しいなぁ」って思ってました(笑)。どこに行けば買えるか全然わからなかったんですよ、見事にミステリアスなブランドなので。
ーやはり、音を感じられたということですよね。
Nakahara:音楽がらみのブランドなんだなっていうのは、ブランド名と、それをアップしている人たちからすぐにわかりました。ぼくはファッションに疎いので、一般的なファッションブランドだったらピンとは来てなかったと思うんです。最近は本当に〈シティー カントリー シティ〉と〈イズネス〉くらいしか着てないですよ(笑)。
ー今月で「RANA-MUSICA RECORD STORE」がオープンから2周年ということで、〈シティー カントリー シティ〉と〈イズネスミュージック〉を迎えたトリプルコラボのTシャツをリリースされました。このアイテムが生まれた経緯を教えてください。
Nakahara:ただただ、ぼくがやりたかっただけなんですけど(笑)。2つのファッションブランドを引き合わせるっていうことなんですが、ぼくはファッションの人間ではないので「それってアリなの?」みたいなところからはじまって。だけど、相談してみたら両者ともに快諾してくれたんです。
ーデザインはどう決めていったんですか?
Nakahara:もう丸投げですね(笑)。うちの2周年ですっていうことだけを伝えて、あとはなにも言わない方がいいかなと。そこはもうプロの人たちにお任せして、できたものを売るのがいいかなと思ったので。
ーボディは〈イズネス〉のインサイドアウト仕様のものを採用して、そこに両ブランドの象徴的なロゴがプリントされています。それぞれの魅力がいいバランスでミックスされていますよね。
Nakahara:いいものができてよかったですね。本当にうまいことバランスよく両者の魅力が出ていると思います。〈シティー カントリー シティー〉も〈イズネス〉も、他のブランドとコラボはしていると思うんですけど、この2ブランドを引き合わせられるアカウントって限られると思うんですよ。それを今回実現できたのがよかったですね。
ー実際にお客さんの反応はいかがですか?
Nakahara:すごくいいですよ。欲しいと仰ってくれる人がたくさんいて、本当にうれしい限りです。パッケージングもすごく魅力的だし、こういうレコードの帯のようなデザインに反応してくれる人も多いですね。
ー2周年を記念したパーティも開催されるそうですね。
Nakahara:この実店舗が2021年の7月31日にオープンしたので、それを記念して7月29日の土曜日にここでパーティをやることにしました。公私ともにお世話になっているDJ NORIさんと、Vicemanという若手のDJを呼んでいますね。NORIさんは、かつて芝浦のゴールドでプレイしていたときから聴いていて、ぼくが「シスコ」で働いていた頃も家が近くて、プロモ盤のレコードをよく家に持って行ったりしてました。それからずっとお付き合いがあって、このお店にもよく来てくれるんですよ。来られるときは〈シティー カントリー シティー〉の服を着てることが多いですよ(笑)。
ーもうひとりのVicemanは、どんなDJなんですか?
Nakahara:女性のDJなんですが、レゲエやベース・ミュージックなど強めの音が好きな子ですね。NORIさんが定期的に渋谷のブリッジという箱でパーティをしていて、そこに出演したことのあるDJとVicemanがつながりがあるんですよ。そういう話と一緒に彼女をNORIさんに紹介したことがあるんです。NORIさん自身も積極的に若い子をブッキングしたいという気持ちがあるようなので、そのきっかけとして、ここでやるのがいいかなと。
ー盛り上がるといいですね。
Nakahara:そうですね。素晴らしいTシャツも出来上がったので、それと共にパーティも楽しんでもらえるとうれしいです。
Ryo Nakahara
レコードショップ「シスコ」の新宿アルタ店でレコードバイヤーとしてのキャリアをスタート。その後渡米し、「N.Y.C.」や「A-1 Records」を経て帰国。その後は渋谷のLighthouse Recordsに所属する一方で、自身のオンラインショップである「Rana-MUSICA」をスタート。2021年より実店舗である「Rana-MUSICA RECORD SHOP」を下北沢にオープンし、今年の7月で2周年を迎える。
Instagram:@ryu_horike
CITY COUNTRY CITY
RANA-MUSICA RECORD STORE
住所:東京都世田谷区代沢5-28-12 藤田ビル 2A
電話:03-6418-5034
公式サイト
Instagram:@ranamusica