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青野賢一ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。www.beams.co.jpshop.beams.co.jp/shop/records/blog.beams.co.jp/beams_records/

小径逍遥、再び。

青野賢一
ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター

「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。
www.beams.co.jp
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No.32 シガレット

2011.12.19

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『勝手にしやがれ』のJ.P.ベルモンドやジーン・セバーグ。
『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナ。
『中国女』のヴィアゼムスキー。

映画の中の主人公は、いつだって格好よく、
あるいはさり気なく、煙草をふかしていた。

とある雑誌で、煙草(正確に言うと「分煙」)
についての対談をしたのだが、
それに際し、少し調べたり考えたりしてみた。
たまたま、『ユリイカ』の2003年10月号
「特集 煙草異論」が手元にあったので、
ひとまずそれを読み直してみる。
ちなみに2003年は、健康増進法が施行され、
増税により煙草の値上げが成された年だ。

先の『ユリイカ』に目を通すと、時が時だけに、
喫煙者の恨み節のようなところもなくはない。
そんな中で興味深かったのは、
太田晋(英文学)のテキストであった。
リチャード・クライン、柄谷行人を引きながらのその文は、
やや難解なものではあるが、
煙草を、世界の連続性に挟み込まれる「」(括弧)とし、
デュシャン、フーコー、マルクス、
エリオット、芥川龍之介らの作品、思想に
想いを馳せている。
時間に差し込まれる「」としての煙草は、
指の間に挟まれ、唇に銜えられる。

連続する世界に差し込まれるということで言えば、
分煙という考え方も全く同様である。
本来、一所である場所に差し込まれる喫煙(あるいは禁煙)スペース。
大概が喫煙空間を某かの方法で囲い(それこそがまさに「」だ)、
彼方とこちらを区別するわけだが、
昨年上演された、悪魔のしるし『禁煙の害について』は、
その区別の仕方がすっかり逆転していたのを思い出した。
禁煙席はアクリルの板で仕切られ、喫煙席はそれ以外
(この公演は所謂ステージ上で行なわれたのではなく、
フラットな空間で演じられた)のスペースすべて。
役者も(演出上必要であったから)煙草を吸うし、
観客席にも紫煙が立ち昇った。
ちなみにこの演劇、タイトルを見てもわかるように、
チェーホフの戯曲『煙草の害について』を下敷きにしたもので、
老教授が煙草の害について
(その後、自分の妻への不平不満に移っていくのだが)
独白する形式は、劇中に落とし込まれていた。

煙草で思い出されるのは、こればかりではない。
冒頭に掲げた映画の中のシーンも、もちろん。
今の世では、到底考えられないように、
至る所で煙草が吸われている。
挟み込まれた煙草は、ストーリーを、観る者の意識を切り取り、
映画に独特のリズムを生み出す。
また、忘れてはならないのは
稲垣足穂『一千一秒物語』であり、
それを彷彿とさせる『クシー君の夜の散歩』に代表される
鴨沢祐仁の諸作である。
ここでは、煙草は「シガレット」と称されている。

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