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青野賢一ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。www.beams.co.jpshop.beams.co.jp/shop/records/blog.beams.co.jp/beams_records/

小径逍遥、再び。

青野賢一
ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター

「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。
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No.33 最初にフルーツを

2012.01.12

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10代半ばの頃の、ほんの一時、
私は、食事に際して、まずフルーツから食べるようにしていた。
キウイやグレープフルーツを半分に切って、
スプーンで食べるのだ。



1984年に公開された映画『ときめきに死す』は、
先頃亡くなられた、森田芳光監督の7作目の作品である。
出世作『家族ゲーム』の翌年に手掛けたこの作品は、
興行的には成功とは言い難かったようだが、
一部には熱狂的に支持されたカルトムービーだった。

舞台は、北海道のとある町。
ある組織から、組織に必要のない人物を暗殺するため、
工藤という男(沢田研二)がその町にやってきた。
同じ組織から、その工藤の身の回りの面倒を見るために雇われている
元・歌舞伎町の医者(自称)大倉(杉浦直樹)。
そして工藤の世話をするために遣わされた女、梢(樋口可南子)。
この3人の不思議な同居生活と、
暗殺の行方が描かれた映画である。



工藤はとてもストイックで、
寡黙に肉体を鍛え、ナイフによる暗殺のシミュレーションを行なう。
彼は、自ら他者とコミュニケーションをとらず、
会話も最小限のものだ。
しかし、3人は一緒に食卓を囲む。
その時、工藤は最初にフルーツを食べる。
カチカチと鳴る食器の音、食べる音。
初期の森田作品に特徴的な演出だ。






涼し気なトーンが作品全体を支配する中、ストーリーは進行し、
一転、ショッキングなカタストロフィーが訪れる本作において、
私の心に引っかかったのは、ラストシーンではなく、
この「最初にフルーツを食べる」ということだった。
なぜだかその行為がえらく格好よく思えたのである。
おそらく、この映画を観て、同じようにした人は、
当時、一定数存在したのではなかろうか。





思えば、映画の中の身のこなしから
色々と盗んできた。
歩き方、食べ方、服の着方など。
多くは、暫く経つと忘れてしまうのだが、
今も、ふとした瞬間にそれらを思い出したりするのである。





少しだけ映画に戻ると、
「ある組織」とは、明らかに、怪しい新興宗教団体で、
その組織に不要な人物を抽出するのは、
少年が操作するコンピューターだ。
1984年といえば、初代マッキントッシュが登場するのと同年。
何だか、少し先の未来を予見しているかのような事柄が
随所に散りばめられているのも、この作品の面白いところだ。

ストーリーを全て語ってしまうのは野暮だから
ここでは委細は述べないが、
様々な読み方が出来る。
失敗することすら前提としているように思われる幕切れは、
凄惨さ以上に、何とも切ない。
映像面では、先の通り、涼し気な雰囲気が
作品全体に流れているが、
タイポグラフィーの挿入やカットアップなど、
ゴダール的な手法が見られるのも興味深い。




実は、この作品以降の森田監督作品は
殆どと言っていい程、観ていない。
何となく、遠くに行ってしまった感じがしたからだ。
『の・ようなもの』(1981年)の映画評を
雑誌で読み、この監督に興味を持った。
『家族ゲーム』(1983年)そしてこの『ときめきに死す』あたりまでは、
自分が読んでいたアンダーグラウンドな雑誌にも
よく取り上げられていたのだが、
その後の作品は、あまりそういった雑誌には出てこなくなり、
次第に自分との距離が生まれてしまったのかもしれない。



久しぶりに、映画が観たくなった。







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