小径逍遥、再び。
青野賢一
ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター
「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。
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No.28 旅行
2011.08.16
旅先から絵はがきを送ってくれる友人がいる。
絵はがき自体も趣があって、
短いが読む者にちょっとした旅気分を感じさせてくれる文章もいい。
私はいたって筆無精だし、
純粋な旅もあまりしていないので、
こういう粋なことをされると、
嬉しい反面、ちょっと口惜しい思いをしたりもする。
この夏は、名古屋に行き、
8月末には富山、9月には静岡に行く。
いずれも観光ではなくDJをしに行く。
大体、こういう時だとあまりゆっくり出来ないので、
その土地の美味しいものをいただいたりすること止まり。
あちこち散策するだけの時間の余裕はないことが多い。
だから、「旅」と呼ぶには
やや申し訳ないような気持ちになる。
言葉としての「旅」は、
此処ではない何処かに行くことであり、
その点においては間違いなく「旅」なのだが、
どうも風情に欠ける。
一般的な旅行をあまりしていない身としては、
日本国内でも知らないことがたくさんある。
そんなことからか、他の人の書いた旅行記や旅にまつわる話は
より想像を膨らませてくれるのである。
ネットで調べて、彼の地の画像や映像を観るよりも、
はるかに行った気になるのはどうしたことだろう。
子どもの頃、私は足を踏み入れたことのない
紀伊半島の海が好きだ、と言っていた。
『魚介の図鑑』が大のお気に入りだったその頃の私にとって、
これは虚言でも何でもなく
(おそらく、そのあたりの海に生息する生き物が好きだったのだろう)
図鑑を読んですっかり行った気分になっていたということに他ならない。
それだけ想像(いや妄想か)が膨らんでいたのだろう。
『月世界旅行』を読んでは月に飛び、
『押絵と旅する男』とともに電車に乗って、
萩原朔太郎に倣って異国に思いを馳せる。
こういう傾向があるので、
私は筆無精なだけでなく
出不精なのだ、と思う。
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