HOME  >  BLOG

Creator Blog

川田十夢公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。https://twitter.com/cmrr_xxxhttp://alternativedesign.jp/

青雲、それは君が見た光。

川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
https://twitter.com/cmrr_xxx
http://alternativedesign.jp/

Blog Menu

「服部」から始まる「Z」について

2011.06.18

このエントリーをはてなブックマークに追加
本日発売のWebDesigningという雑誌で、ユニコーンと対談しました。編集部さんの力もあって、ポップでとても面白い内容になっていますが、僕の中ではちょっと複雑な気持ちなんです。それを、ちょっとここで書いておきたいと思います。

///

始点:「服部」
僕がユニコーンのことを知ったのは、「服部」からでした。このアルバムに収録されているシングル曲「大迷惑」が大ヒット(今調べたらうっかり最高12位でした...)、ユニコーンはバンドブームの最前線に躍り出ることになります。
当時13才。中学一年生だった僕は、井上陽水と忌野清志郎しか聞かない偏屈なリスナーでした。バンドブームの音楽は、全てダメだと思っていました。RCやBOØWYやブルーハーツが発明した所謂「日本のロックバンド」をなぞっているだけのように見えたし聞こえたからです。でも、ユニコーンは違っていました。オーケストラ編成とその曲の構造の面白さをそのまま実体化したPVは、どのバンドよりもユニークでカッコ良かった。その歌詞も独特でした。大迷惑のテーマになっていたのは単身赴任。誰もが恋愛や友情の大合唱をしている中、単身赴任モチーフはどのバンドよりもユニークでした。ついでに、カップリング曲の「服部」のモチーフは、誰だか分からない老人でした。僕は、彼らの世界観に打ちのめされ、のめり込みました。
僕は少しギターが弾けたので、ユニコーンの新曲が出る度に耳コピしてカバーをしていました。が、ちょいちょい分からないコードが出てきて、その多くは分からないままでした。17才を過ぎたくらいに通過したビートルズやELOやジミ・ヘンドリックスのコード進行を研究し出した頃、ようやくその答えが分かりました。その独特の世界には、多種多様な音楽への探求と研究の成果があったのです。
ユニコーンはこの「服部」以降、名盤と呼ばれるアルバムを3枚、あれは何だったんだと言われて未だにちょっと分からないアルバムを2枚出して、一度も世界がブレないまま一旦終焉を迎えました。最後のシングル「素晴らしい日々」は、その音楽性の高さも去ることながら、老人のように達観した歌詞の世界で新境地を見せてくれました。新境地を最後に見せて解散するバンドはユニコーンくらいでしょうね。その世界観は奥田民生のソロ活動に脈々とつながってゆきますが、ユニコーンでの底抜けの明るさとは異質のものでした。

///

終点:「Z」

2011年3月2日、僕はうっかりユニコーンのニューアルバムの仕上げの場(スタジオ)にいました。そこには、川西さんを除くメンバーが集結していました。SME主催のセミナーに呼ばれて登壇したことがあること、ソニーミュージック所属のアーティストの拡張を何度か手掛けたこと、直前までプロデューサーの銀二郎さんと一緒にいたこと、SMA社長の原田さんにAR作品を見せたことがあること、カンジブル・コンピューティングというネタでユニコーンへのオマージュがあること、おそらくそのどれかが理由だったと思うのですが。メンバーに囲まれた僕にとっては、そんなことどうでもいいことでした。とりあえず、「つまらないと思われたくない」という一心で、僕がこれまで面白いと思って作ってきたネタを一通り披露しました。それを見たメンバーのみなさんは、口々に「おもしろい」「どうなってるんだ」「凄い」「頭いいね」という感想をくれました。
これをキッカケに、僕はまだタイトルの付いていないこのニューアルバムのプロモーション全般を考えることになりました。自ら望んだとは言え、自分が影響を受けた対象との対峙は、やり方を間違えると大ケガにつながります。影響を受けた対象にフィードバックできない表現なんてヤメてしまえ。僕が積み上げて来た経験とポリシーが、もろくも崩れ去ってしまう危険性があるからです。
僕はまず、ユニコーンのどこが好きだったのか、どこに影響を受けたのか、丸一ヶ月かけて過去の作品を全て振り返って、改めて見つめ直すことにしました。結果、僕が受けた影響は、音楽そのものというより考え方だということに気がつきました。僕がAR三兄弟に関わらず、何かをゼロから発明するときの考え方の断片に、彼らの影響が色濃く残っていました。それを以下に洗い出してみます。(以下にYouTubeのビデオを貼りつつ解説を加えますが、PVの扱いについてレコード会社の見解は過渡期にあり、もしかしたらリンク切れを起こすかも知れません。予めご了承いただくとともに、余裕があればユニコーンにもフィードバックのある映像作品集や楽曲を買ってください。)

///

1)特異なものを持ち込む、持ち出すということ。

これは「命果てるまで」という曲のPVです。音楽ではウクレレを、映像ではダッチワイフという、当時の音楽シーンからすると特異なものを持ち込んでいます。持ち込んだものは、それぞれ独自の世界を構築し、しれっと広く一般に流通しました。特異でしかなかったものは、いつのまにかユニコーンの個性として受け入れられました。

2)まだ誰にも歌われていない世界を見つけること。

ユニコーンの曲を聴いていると、まだまだ歌になっていない価値観やモノサシがあるということを思い知らされます。それは、まだ誰も題材にしていないことを題材にすることだし、システムになっていないものをシステム化することです。

3)見つけた世界を、楽しく見せること。

折角作った優れた楽曲も、広く一般に興味を持ってもらわないと流通しません。彼らは、誰よりもユニークな音楽を作っている自負がありながらも、どうしたら面白がってもらえるかをアーティスト自ら考えていた希有な存在でした。お笑い番組に出たら、それだけでコミックバンド扱いされてしまうかも知れない。そんなリスクをもろともしない高い音楽性が、彼らの評価を不動のものにしました。 

///

以上を整理したあと、僕は音楽の世界でまだ行われてない手法を発明すべきだと考えました。それは、映像じゃない形式でユニコーンの音楽を体験できる新しい仕組みだし、それをCDアルバムに同梱するというダイナミズムだし、それを中核とするプロモーションでした。ほぼ、全てイメージ通りにカタチにすることができ、その結果は内外に大きく評価され、冒頭に紹介したWebDesigningの対談につながりました。

なぜ、夢のような体験をしたにも関わらず、冒頭に「複雑な気持ち」と書かざるを得なかったのでしょうか。それは、これだけの気持ちと覚悟を本人達に言葉で伝えられなかったからです。誌面上では大幅にカットされていますが、僕は大好きなユニコーンを前に暴走してしまい、「ユニコーンって1枚目と2枚目が売れ線だったのに、3枚目からおかしくなっちゃってオカしいですよ!」とか「PVだってもっとカッコつければいいのに、アレをカッコいいと言っていた僕はクラスで浮いてましたよ!」とか、まるで大好きな女の子を前にうっかり大嫌いだと言ってしまう男子中学生のようでした。

もしも僕が、好きな人に言葉で全てを説明できる人間だったら、そもそもこんな仕事していないかも知れません。言葉では足りないから、収まりきらない情動を別のカタチの発明で補おうとするから、今がある。でも、残念ながらこのブログ。言葉でのみ構成されています。最後に一言だけ、言葉で補わせてください。

ユニコーンは、モノの考え方を音楽で教えてくれた最高のバンドです。大人になってもなお、自分の受けた影響をどうやってカタチにしてゆけばいいのか、改めて教わった気がします。ほんとはずっと大好きだったし、これからも大好きです。

※コメントは承認されるまで公開されません。