青雲、それは君が見た光。
川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
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「映画」から始まる「プロトコル」について
2011.07.01
公式ブログの方に書きましたが、映画を撮りました。protocol【プロトコル】っていうタイトルの映画で、構造そのものを発明しようとした意欲作です。明日、SSMFっていうイベントで公開します。
この映像は、1890年代にリュミエール兄弟が最初にスクリーンにかけたと言われる映画「Arrival of a Train at La Ciotat(シオタ駅への列車の到着)」です。汽車が駅に到着するだけの無声映画ですが、これを上映したときの観客は画面内で迫ってくる列車を恐れて席から飛び退いたという逸話が残っています。
僕はこのワンショット映像と逸話が好きで、AR三兄弟として、雑誌から汽車が飛び出してくるという作品を作ったことがあります。これは銀河鉄道999へのオマージュで在ると同時に、実は映画史(リュミエール兄弟)へのオマージュでもあったこと、ここで初めて明かしておきます。
1900代に入り、映画はいよいよ物語構造を帯びてきます。最初にそれをやってのけたのはフランスのジョルジュ・メリエス。マジシャンであり劇場経営者でもあった彼は、リュミエール兄弟の映画に感銘を受けて、製作に乗り出します。AR三兄弟のネタに鳩が飛び出すマジックネタがあるのですが、あれは特にオマージュではありません。
1910年代から現代に至るまでの映画史は専門家と自称批評家に任せて、とりあえず僕は語りたいことだけを語ります。クリストファー・ノーランの作品(厳密には「フォロウィング」)を観てから、僕は露骨に映画の見方が変わったし、映画そのものに可能性を再び見出しました。彼は映画の構造の根幹となる時間の原理を疑い、それを映画というフォーマットに落とし込みました。映像作家にとっての時間は、何をテーマにするかよりも重要なものだと僕は捉えるようになり、その考え方をめぐる上で欠かせなかったのが黒澤明と北野武の対談のヒトコマです。
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