HOME  >  BLOG

Creator Blog

川田十夢公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。https://twitter.com/cmrr_xxxhttp://alternativedesign.jp/

青雲、それは君が見た光。

川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
https://twitter.com/cmrr_xxx
http://alternativedesign.jp/

Blog Menu

「映画」から始まる「プロトコル」について

2011.07.01

このエントリーをはてなブックマークに追加

公式ブログの方に書きましたが、映画を撮りました。protocol【プロトコル】っていうタイトルの映画で、構造そのものを発明しようとした意欲作です。明日、SSMFっていうイベントで公開します。


この映画を撮るにあたって、映画誕生からAR三兄弟の新作に至る歴史やら文脈やらをざっくり紐解きたくなったので、ここで不意にフイナムにまとめておきます。

///

始点:映画

映画を発明したのはフランスのリュミエール兄弟です。エジソンをルーツとする説もあるのですが、彼が発明キネトスコープは、箱を個人が覗き込むような構造になっており、大勢の観客を同時に楽しませられる構造ではありませんでした。スクリーンに投影させる方式になって、はじめて娯楽としての映画産業が始まったと僕は思っているので、リュミエール兄弟をルーツとして捉えることにしています。

この映像は、1890年代にリュミエール兄弟が最初にスクリーンにかけたと言われる映画「Arrival of a Train at La Ciotat(シオタ駅への列車の到着)」です。汽車が駅に到着するだけの無声映画ですが、これを上映したときの観客は画面内で迫ってくる列車を恐れて席から飛び退いたという逸話が残っています。

僕はこのワンショット映像と逸話が好きで、AR三兄弟として、雑誌から汽車が飛び出してくるという作品を作ったことがあります。これは銀河鉄道999へのオマージュで在ると同時に、実は映画史(リュミエール兄弟)へのオマージュでもあったこと、ここで初めて明かしておきます。

1900代に入り、映画はいよいよ物語構造を帯びてきます。最初にそれをやってのけたのはフランスのジョルジュ・メリエス。マジシャンであり劇場経営者でもあった彼は、リュミエール兄弟の映画に感銘を受けて、製作に乗り出します。AR三兄弟のネタに鳩が飛び出すマジックネタがあるのですが、あれは特にオマージュではありません。

1910年代から現代に至るまでの映画史は専門家と自称批評家に任せて、とりあえず僕は語りたいことだけを語ります。クリストファー・ノーランの作品(厳密には「フォロウィング」)を観てから、僕は露骨に映画の見方が変わったし、映画そのものに可能性を再び見出しました。彼は映画の構造の根幹となる時間の原理を疑い、それを映画というフォーマットに落とし込みました。映像作家にとっての時間は、何をテーマにするかよりも重要なものだと僕は捉えるようになり、その考え方をめぐる上で欠かせなかったのが黒澤明と北野武の対談のヒトコマです。



ここで二人が話しているのは、説明(文脈)の省略であり、映画であり、映画的でない何かであり、時間感覚です。僕が好きな映画監督は無数にいますが、どの監督も独特の時間経過を映像に落とし込んでいます。僕が撮るのは5分程度の短編ですが、色々と回顧してゆくうちに僕なりの時間経過と省略と発明を映画に与えるべきだという結論に達しました。僕じゃないと作れない映画を作るべきだと、覚悟したのです。

///

終点:protocol【プロトコル】
僕がAR三兄弟で追求してきた表現は、ARという特殊技術を使うことではなく、映像体験として、どうやって新しいものを創造するかに重きを置いていました。単にシステムを作るのではなく、新しい映像を体験装置ごと作ってしまうというダイナミズムこそ、現時代的にユニークな手法だと確信していたのです。この確信は、林永子さんを筆頭に映像を真摯に見てきた層にはしっかり届いていて、僕らはおかげで「映像作家100人2011」にも巻頭特集が組まれるほどになりました。
では、次に何をするか。映像にARを持ち込むのではなく、ARに映画の概念を持ち込むことにしました。映画にとっての時間とは何か、物語と現実の境界線は何か。それを越える仕組みは何か。映画に内在するシステム構造に持ち込んで、映画の見え方が変わってくるもの。それはprotocol【プロトコル】でした。
プロトコルとは何か、簡単に説明すると、それは通信する上での約束事です。電話するにも、メールするにも、検索するにも、プロトコルは必要です。逆に言うと、プロトコルのあるものとは通信することができる。僕は、映画という装置にプロトコルを与えることで、物語の向こうと現実をつなげられないかと考えました。こうして完成した映画が、僕の初監督作品です。

///

protocol【プロトコル】は、明日ヤクルトホールで開催される第7回ショートショートムービーフェスティバルにて、初公開されます。新しいプロトコルによって、どんな映画体験が喚起されるのか。もうチケットないかもですが、興味ある人は問い合わせるなどして情報追ってみてください。作品は、少し時間を置いてDVD化される予定です。会場来れない人は、そちらを待ってもいいですが、僕が発明したのは新しい「映画体験」なので、できれば映画館に来て欲しいです。だから、プロトコルが内在した映画が数多く発表されるように、今後は映画産業にも露骨に片足つっこんでゆく所存です。

※コメントは承認されるまで公開されません。