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Ray and LoveRock「写真を撮る人」Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/

紙飛行機で宇宙旅行。 --ものについて。時々酒と、下ネタと。--

Ray and LoveRock
「写真を撮る人」
Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」

http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/

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大人の不良。

2012.08.16

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DSC_0068.JPGのサムネイル画像

 

 ある程度年を重ねていくということは――たとえば20数歳とか――、ある意味で――あくまでも、ある意味であり、まったく当てはまらない人もいる――繊細な心や、自分の意思、もっといってしまえば、自分自身を失う作業をしている気がしてならない。

 ぼくだってそうなのかもしれないし、少しは抗ってはみているものの、それ自体屁のツッパリで、どんどん自分という存在を削って、削って社会にアジャストさせているのかもしれない。

 そしてそれ自体を憂うべきなのか、それとも、それでまあ、仕事もあるんだし、良いんじゃないの、それもまた生き方なんだし、と諦めてしまうべきなのか、それとも、自分を見失うことなく、ギリギリまで辛かろうが、生き難かろうがロックンロールしながら生きるべきなのか、考えることもあるけれど、うやむやにしながら凌いでいる、というのが現状なんだと思う。

 もちろん、ルールあっての社会である。そのルールに外れないように生きていかなければならないのだけれど、それでも、そんなルールとは離れたところにあるシガラミ(柵)とかフブンリツ(不文律)、奇妙な上下関係、偉いだの偉くないだの、どうでも良いようなことのなかに自分がいつの間にか入り込んでいて、知らず知らずのうちに、そこでできたローカルルール――それをぼくは知らないでいる――から外れているとか、入り込んだコミュニティにそぐわない、なんてよくわからないことで良くない者というレッテルを貼られたりすることも少なくない。

 社会に適合することは、やがて何も考えないことであり、自分の考えを消していく作業になっていく。好きでもない上司を好きなふりで接してみたり、間違っていると思ってもそれを見て見ぬふりをする。

 ふりをする。社会が産んだプリテンダーたちは自分に合ったプリテンダーを探し、見つけるとそいつを可愛がる。空っぽたちの連鎖。無個性のスパイラル。

 これは、"悪"ではないのか? 最悪という言葉の"悪"。 

 その悪に抗う、純粋な気持ち。純粋な疑問を、その最悪な人たちはダメ出しをする。良くない者として扱う。だって、自分がない人から見れば、自分のある人の存在なんて、まったく理解できないのだから、仕方がないことなのだろう。

 純粋に生きるためにはどこにも属さないことを選ぶしかないのか?――

 何かに似ている。

 ――遠い昔感じた、あのイヤな気分に似ている。

 

 ぼくの友だち、やんちゃ坊主たちに大人が貼り付けたあのレッテル。

 「不良」という名のタグ付け。

 だけれど、不良って、何なんだ?

 「不良」はけっして「悪」ではなく、良くないだけ。その良くないっていう基準も大人が作った勝手な理屈にすぎない。自分のいうことを聞かなかったら「不良」っていって済ませてしまうくらい、大人の質(たち)の悪さが、純粋な目をした少年を不良というカテゴリーに入れる。大人たちはそのカテゴライズを勝手に納得している図が浮かんでしまう。

 純粋な人はちょっとでも疑問を持てば、疑問を疑問として正面からアタックしてしまう。もしくは疑問そのものに反発してしまう。そんな大人への反発を、大人へのメッセージを、大人は判らないまま、「不良」という言葉でくくり、自分たちだけ判った気になって、その場を納めてしまう。

 ――少年たちがどれだけ傷ついたかも知らずに。

 DSC_0543.JPG

 TAKAHIROMIYSHITA The SoloIst.の展示会用の写真集を撮影させていただいた。

 モデルになっていただいたのは、LEEさん。大人になっても少年のような純粋な目をしている。不良だったというけれど、「大人の不良」の匂いがする。「不良」と書いて、「アニキ」と読んでも良いかもしれない。

 ぼくらが普通に持っている――おそらく持っていた――ピリピリとした尖ったもの、エッジの効いた力。ある意味においての――本当にそれはある意味に、もしくはある種の人たちにそう捉えられてしまうという意味での――反抗する力。こうした"力"を内側に感じてしまう強い人である。わけあって以前にもお目にかかっているので、今回は二度目の邂逅となる。

 何よりもLEEさんの存在感がものすごい! 圧倒的な力といっても過言ではない。それはまた、宮下くんがイメージしたテーマとも重なる。

 ジョン・カサベテェス。人間の中にあるリビドーを、その魂の塊のごとく撮っていった映画監督。社会に抗うかのごとく、インディペンデントで映画を作り続けた。その映画に出てくる俳優、そして、カサベテェス本人と重ねたコレクションが、今回の写真のテーマでもあった。

DSC_0584.JPG 撮影の日はとても暑く、LEEさんはとても熱かった。灼熱を感じさせるような東京の町角で、LEEさんとぼくは向かい合う。

 LEEさんの"力"をファインダーで捉えることに専念した。レンズの距離がぼくたちを近づけたり、離したりする。

 大人の不良。純粋な気持ちがあればあるほど、そして、それが年を重ねていればなお、自分に素直に生きるためには大きな選択を迫られる。

 ひとつには、インディペンデントして、自分を捨てることなく、自分に偽ることなく、やりたいこと、やるべきことをする。

 そうでなければ、自分の牙を抜き、家の片隅にしまっておいて、毎日何ごともなく過ごす。誰かと違う――それは本来"普通"なんだけれど――道を歩むことなく、誰かの歩いた道を一歩も踏み外すことなく、何も考えることなく、歩く。そうすれば、自分が傷つくことはまずない。社会に対して空っぽの自分であれば良いだけの話だ。すべてを「無難」という言葉で片付けてしまえば良いのだ。

 DSC_0468.JPG

 傷つきながらも、我が道を歩く。たどり着く先はどこなのか、わからずに。川があるのか、山があるのか、海があるのか、わからなくても良い。だけれど、まだ見ぬ先に対して怖気づく必要もない。そんな生き様を、LEEさんに、そして宮下くんに感じる。

 大人の不良、簡単そうでとても"力"がいる作業。

 確固たる信念を持ち、己を貫き、男の美学を持ち、純粋に、少年の心を持って生きる。言うは易いが、なかなか棘(いばら)の道だし、体力もいる。

 その「力」があることを、ふたりの少年のような目は、不器用に、だけれど雄弁に語っていた。

 大人の不良とは、まるで積み木を積み上げていくように、自らの体に積もり積もって行った、自らの体に染み着いた、「スタイル」といっても良いかもしれない。

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