紙飛行機で宇宙旅行。 --ものについて。時々酒と、下ネタと。--
Ray and LoveRock
「写真を撮る人」
Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」
http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/
デジタル写真の塩梅。
2012.09.03
編集という仕事は、知らないことを知っていく紆余曲折、知の迷宮とでも言えばいいのだろうか? 果てしなく生まれくる新しいものを、新しい現象を、迷いながら、戸惑いながら、あっち行ったりこっち行ったりしながら、辿り着くことを仕事としている。それはある種の麻薬みたいなもので、一度ハマり込むと体に染み付いてしまって、抜けられなくなる。
その抜けられない"知の迷路"はやはり、自分の想像と予測、思い込みが全面に出ているほうが良い編集ができるものと今でも思っている。いや信じている、といったほうが良いかもしれない。
十把一絡げ、という言葉があるけれども、なんだか、最近の本も雑誌も、作り手が見えないものが多い。どれも一緒な感じがする。――いつの時代も「イマドキの若いやつら」といって括っているのと変わらない。つまり常に言われていることなんだけれどね――ひとつには自分の予想を自分の頭で組み立てなくなったんではないか?また、自分の予想を越えると拒絶する編集も多そうだ。――冒頭述べたように、知らないことを知ることが、編集の醍醐味なのに、なんだか本末転倒だなぁ、と思ってしまう。
少し前まではインターネットもなく、携帯もなく、バイク便もなく――電話とファックスが一番の高速通信機だった!――ひたすらにして汗をかくしかなかったのだ。何をするにも「足で稼ぐ」というやつをするしかなかった。この、「足で稼ぐが実は結構大事で、そこで個性が出る。
今でもインターネットを好んで使うわけではない。編集者の肌には合わないものだと思うのだ――インターネット至上主義の編集者がいたらごめんなさい。今度飲みながら、意見を交わしましょう!――。
何でも良いのだけれど、調べる。例えば鰯(なんで鰯?)。インターネットで調べることはもちろんできる。なんとなくであるけれど、ググってみましょう。――この「ググる」という言葉もあまり好きではない。(笑)
まあ、学術的なことはわかるし、――鯖の仲間とカタクチとかの鰯の仲間がいること、シラスが稚魚であることなんかが書いてあった。
確かにある方面には深く知ることができるのかもしれない。だけれど、鰯を知る旅に商店街に足を向けたらどうだろうか?
魚屋さん(鮮魚販売業者とかいわないといけないんだっけ?)のおかみさんに鰯を聞けば、調理方法も教えてくれるだろうし、小骨が多いのをどう処理するか、そんな話だって聞ける。ついでに烏賊や蛸だって見られるし、その時旬の魚が何かもわかる。鰯が大体いくらか、という相場もわかるし、他の魚にくらべて安いのかどうかだってわかる。
なんというか、芋づる式にいろんなことを知る瞬間が大切なのだ。すべては繋がっている。それが大事だということを実感してほしいと思うし、何よりも、子どもみたいに知る楽しみを持たないと編集者としてもったいないし、つまらない仕事になってしまう。
インターネットの功罪なのかもしれないけれど、遠くを近くに感じられたりもする。少し昔は「東京」という都があったし、「東京」でしか買えないものなんかもあった。「憧れ」という幻想はすべて想像力が生む、最高のファンタジーだ。
アイドルが偶像の女神で、かつての吉永小百合さんがおしっこもうんこもしないと思われていた、そんな感覚はとうに失せて、ぼくらはアイドルの熱愛発覚にもだんだん無感覚になっている。それでも銀杏BOYZの「なんとなく大人になるんだ」ではないけれど、好きだったアイドルの熱愛に胸を痛めるぼくがいる。これは創造力であって、他のなんだというのだろうか?
インターネットがなかったら、という話ではない。インターネットのある世界でもアナログな心を持つことはできるのではないか? デジタルという魔法はいずれ解けてしまう刹那のトリックなのかもしれないし。
長いイントロダクションでここからが短い本番である。
最近カメラを買った。現時点で画素数と高感度という部分では、おそらく世界最高スペックのカメラだと思う。――こういう風にスペックだのなんだのと書くと、もうカメラではなくて、"マシン"と呼びたくなる――元々デジタルに不信感があって、何台かは試してみたのだけれど、なかなか踏み込めないものであった。
ローライフレックスにぼくのカメラは始まり、ライカ、グラフレックス4×5、ハッセルなどを――みんなフィルム時代の名器と言われたカメラなのです!――その時々の撮影に合わせて選んで使っていたぼくにとって、デジタルという場所に渡る橋を見つけることがなかなかできなかった。
しかし、いろいろと進化するもんだなぁ、と思ったのが、デジタルカメラもある程度のものになると、デジタル向けのピントバリバリレンズを着けなくてもよいことがわかってきた。つまり、ニコンのボディにハッセルやライカのレンズが着けられる!――こういうのを進化というのかはわからないけれど。むしろローファイな方向に進む緩やかな退化? というより、ぼく自身が今のデジタル事情を知らなさすぎ?――
というわけで、ニコンのD800というデジタルカメラを買いました。買った理由のひとつは画素数が多いことだ。古いレンズの良いところと言うのは、――というより、ぼくが古いレンズに求めることは――モノクロの場合は黒と白の間、その中間トーンの微妙な部分をトーンジャンプすることなく滑らかなグラデーション。そして、カラーでも、モノクロでも、ボケ感だったりする。このアナログ感こそが自分の求めるカメラ像?かもなぁ、と思っているのだけれど、このアナログ感はフィルムの持つアナログ性に頼るところが大きい。
フィルムは面で像を捉え、デジタルカメラのCCDはドット、つまり点の集まりで像を捉える。だけれど、この点の数がどんどん増えれば、もしかして面に近づくんではないか? もちろん近づくんだけれど。
以前から、ルミックスにライカのズミクロンの50ミリを着けて撮影したりしていたので、徐々にアナログ感をデジタルカメラに持ち込んでいくことを始めてはいた。
今回はカメラテストをしてみた。
4×5を使って、ポラロイドフィルムで撮影していた手法をデジタルカメラでやってみることにした。自分がパウロ・ロベルシ先生を好きだということもあって、デジタルカメラを買ったら、一度この撮影方法を試してみたいと思っていた。
フォトショップなんかを使って、もう少しアジというか、画像をいじってみても良いのだけれど、あくまでカメラのテストだから、CG的なことは一切していないし、ほとんどが一発撮り。
写真を撮ることが楽しい。
いや、特に結論とか教訓めいたことはこの文章にはないのだけれど、強いていうなら、便利なだけにとらわれるのではなく、デジタルとアナログをうまくミックスさせる、その塩梅を考えることがこれから大事なことになってくると思う。
って、今さら何をいっているんだ!?的なまとめですみません! ――ですが、ぼくのデジタルカメラを使うときの姿勢みたいなものなんです。
※Model:Mao Tsubokawa Costume:Black Mouton