紙飛行機で宇宙旅行。 --ものについて。時々酒と、下ネタと。--
Ray and LoveRock
「写真を撮る人」
Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」
http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/
「雑」の意味。あの人がくれた言葉。
2012.11.06
では、今回、久々に書けた文章を読んでいただけるとうれしいです。
あの人は「雑なんです」といった。「That's 雑」とも。この文章を書き始めてみるまで、その意味をきちんと理解していなかったことに気づく。
いつの間にか、人々は個を奪われていくことになっていた。
どこに「個」があるのか? どこに「個人」があるのか? わからなくなってきている。曖昧に。大きな波と小さな波が交互に来ては人を飲み込み、やがて、「自分」をうやむやにすることを余儀なくされていく。
難しいことではない。
いつものようにコンビニに行って、お昼ご飯でもいいし、夜のおかずでも良い、買って食べている自分を俯瞰で見られることは多分できない。
どこにでもあり、どこでも同じ味がする、レストランチェーン店でご飯を食べる。居酒屋チェーンで酒を飲み、肴に箸を運ぶ。もしくは、ここにしかない店、と思って入ってはみたが、結局、どこかのチェーンであった。そんな自分を俯瞰で見ることは多分できない。
どんどん、どんどん、大きなものたちが手をつなぎ、もっと大きくなることで、日本中を同じものにしていく。
高速に乗ってインターチェンジを降りるときの風景、そこからバイパスを通る道の景色、昔にはなかった既視感がある。この既視感は、田舎の風景の相似を意味しているのではない。同じチェーンが立ち並び、同じ景色を作り出している、この気持ちの悪さでしかないのだ。
気がつくと、ぼくたちは道順さえ操られている。
ナビだ。どんな車にもついてしまったナビはぼくたちから道をイメージすることを奪い去っていった。
すべてが、ぼくたちから想像力を奪い取り、みんなを画一的な世界へと誘っていくのだ。そこに誰も疑問を持たず、そこを誰も俯瞰で見ようとしない。真っ白でプレーンな世界は足音を立てながら確実に訪れているのだ。
あの人の服は違っていた。
ぼくは決して恰好良くはない、と思う。だけれど、街を歩いていて、時々、鏡面仕上げになったビルのガラスの前を歩いて、ちょっと格好良いと自画自賛するときがある。それは大体いつもあの人の作った服を着ているときだ。
あの人は「雑」といった。
でもあの人の「雑」は同じ「雑」でも「雑誌」の「雑」なんだ。
いま、「雑誌」はほとんど見られなくなっている。「カタログ誌」全盛だから。いろんなものが混じっていて、いつも新しいものを見せてくれる、そんな意味が「雑誌」のなかの「雑」の意味するところ。
ぼくの中に"ステキ"な「雑」が入り込んだとき、ぼくはいつの間にか"恰好良く"なっているようだ。
雑誌の雑とはさまざまな要素のことなんだと改めて認識する。逆に言えば、さまざまな「雑」を集めて編む(だから編集)とできあがるのが雑誌なのだ。
あの人の「雑」とは、まさにこの素晴らしき「雑」。既存の洋服の概念ではあり得なかった――もしくは誰も考え付かなかった――さまざまな要素を丁寧に編み込んでいく作業を、時には実際の手作業で、時にはあの人の頭の中で行っていたのだ。
今シーズン、ぼくの手元にあの人が作った服のラインナップが揃った。
その服はまるで、サッカー選手がパスを送るときにメッセージを込めるというのに近い気がする。――とはいえ、ぼくはさっかーをしないのだけれど。
それはこんなふうに着たら良いとか、そんな安易なメッセージではない。
「きみだったら、どう着るんだ?」
そんな声が聴こえてくるのだ。
このブログを更新するだけの文章がまったく出てこなくなっていたのだ。言葉が、文字が、それを支える内容とネタがうまくひとつになってくれない状況だった。
だけれども、あの人の服がぼくに言葉をくれた。パスとはまた違う、大きなメッセージだった。そして、少しずつだけれど、文字が見えるようになってきた。そして、それをつなぐネタも頭の中をかすめるようになってきた。内容はあの人がくれた。
季節が変わり始めている。
次の季節にはまた、この間、お願いしたものがぼくの手元に届くことだろう。
そして、それを待つことなく、あの人はまた、――それは雑誌のように否応なしに次から次へと出していかなければならない大変な作業だと思うけれど――新しい「雑」を生み出してくれる。それはあの人の「声」だ。
くぐもったその声にも似た、あの人の作る服。
ぼくは常々、あの人のつくる服の持つ力に助けられ、勇気付けられている。
あの人の作った服があるだけで、ぼくはどこにでもいる、誰でも同じ人ではなく、「個」としての自分で生きられる。
そんなことを感じることができる数少ないデザイナーなんだと思っている。
想像力をかきたて、ぼくらを確実に「個」として扱ってくれる、大いなる、新しきスタイルを見せてくれる。それは、いつもどこにもないものを見せてくれる。真似をされたりして、いつの間にかあの人の作った服のまがい物が出てくるけれど、あの人は確実にオリジナルであり、真似されるほどの「本物」なのだ。
あの人の声が聴きたい。
新しいあの人のメッセージを届けて欲しい。
そして、願わくば、また、あの人の作った服をぼくはカメラのファインダーを覗き、シャッターを切りたい。
ぼくは何もできないけれど、あの人の服を信じることだけはできると思っている。
いつも、いつも、迷惑をかけているあの人にできることは信じることだけだと。
写真、最初:TAKAHIRO MIYASHITA The SoloIst.のシルクスカーフ。
2番目:スカーフに加えて:TAKAHIRO MIYASHITA The SoloIst.のダウンベスト。
3番目:スカーフとダウンベストに加えて:TAKAHIRO MIYASHITA The SoloIst.のジャケット。
4番目:TAKAHIRO MIYASHITA The SoloIst.のスニーカー。