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COLUMN

monessay

文:蔡 俊行

フイナム発行人、フイナム・アンプラグド編集長である蔡 俊行による連載企画「モネッセイ(monessay)」。モノを通したエッセイだから「モネッセイ」、ひねりもなんにもないですが、ウンチクでもないのです。今回は〈ユニクロ & エンジニアド ガーメンツ〉のコンビネーションジャケットについて。

  • Text_Toshiyuki Sai
  • Photo_Kengo Shimizu
  • Edit_Ryo Komuta, Rei Kawahara

第四十回バツの悪い思い

フリークエントフライヤープログラムのせいで、日本の航空会社を使う人たちは大きくふた通りに分けられる。JAL派かANA派か。効率よくマイルをためるには同じ会社、あるいはアライアンスのある航空会社を選ぶ。上級会員になれば様々なベネフィットが受けられるので、それを狙って“修行”と称し、無理やり飛行機を利用しマイルを稼いでいる人たちもいるらしい。確かに一定数のマイルや、登場回数をクリアすると、永久資格の付いたクレジットカードの申し込みができるのだ。ちなみにぼくも持っている。

修行をしたわけではない。普通に利用していたら申込書が送られてきた。そして20年以上のこの資格を有している。

というのもおよそ20年ほど前、毎週のように山口県の宇部に呼ばれていたからだ。朝イチの飛行機に乗り、打ち合わせを済ませ、夕方の便で戻る。週に二度行くことも少なくなかった。

当時、羽田から山口宇部空港へはANA便しかないので、自然とマイルは貯まったのだ。

まだ〈ユニクロ〉の本社が山口にあり、東京オフィスがなかったからである。

いまだに覚えているが、当時の〈ユニクロ〉は日本国内に300店舗。800億円の売上規模だった。いまからすると隔世の感である。

当時、なぜかぼくがこの会社の広告やら、カタログやらキャンペーンやらのビジュアルをすべて手がけていた。経緯を書くと長くなるのではしょるが、要するに大手広告代理店の契約と契約の谷間をちょっと埋め合わせしたということである。

東証二部上場前で、そこから東証一部まで横でずっと眺めていた。ものすごくダイナミックな時代であった。98~99年のフリースブームや原宿店のオープンなども手伝わさせてもらった。

柳井さんは当時から世界一のカジュアル企業に成長させ、売上高1兆円を超えるのが目標と言っていたが、ぼくはそれはさすがに無理だろうと考えていた。

有言実行どころかいまではその目標を軽く凌駕し、ぼくは自分の先見の無さにただ苦笑いするしかない。

〈ユニクロ〉がどんどん力をつけてきたころ、アパレルメーカーの人たちはここを敵視する傾向が続いた。いまでももしかするとそういう人たちがいるかもしれない。なんせアパレルを民主化し、価格破壊を起こしたわけだから、既得権益者が不機嫌になるのも仕方ない。しかし時代の流れである。諸行は無常なのだ。

いまだにファッションの分野で働いている人のなかには、〈ユニクロ〉だけは絶対着ないと言っていた人もいる。

ニューヨークにいるデザイナーの友人もそう。

ところが去年会ったときに、来年〈ユニクロ〉の仕事をすることになったという。春にポロシャツを数型、そして秋にはフリースをつくると。ここだけの話ということにしてくれというのである。

とんだ転向である。

ポロシャツはまぁそこそこ売れたようだが、この度のフリースはあっという間に売り切れで、どんどん追加しているようだが、すぐに在庫切れ。一体何枚作ってるんだろう。実は数字聞いているんだけどね。ここでは書けない。

街はもうフリースを着られるシーズン。きっとあちこちでバッティングが起こっていて、バツの悪い思いをしている人が多そう。

それにしてもこんな服、こんな値段で出されたんじゃ、他の服が売れないわ。

¥3,990+TAX(人気商品のため、売り切れの可能性がございます。)

〈エンジニアド ガーメンツ〉と〈ユニクロ〉のコラボレーション第二弾から発売されたフリースのコンビネーションジャケット。アメリカの古き良きエッセンスと〈ユニクロ〉が考える美意識が融合した一品で、手に取りやすい価格帯と品質の高さに、驚異の売れ行きを記録している。

PROFILE

蔡 俊行
フイナム発行人/フイナム・アンプラグド編集長

マガジンハウス・ポパイのフリー編集者を経て、スタイリストらのマネージメントを行う傍ら、編集/制作を行うプロダクション会社を立ち上げる。2006年、株式会社ライノに社名変更。

INFORMATION
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