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COLUMN

ヒップなエディトリアルシンキング

文:蔡 俊行

編集に関わる仕事をずいぶん長くやってきた。雑誌を作るだけではなく、そのアイデアをテコにしていろんな仕事にも首を突っ込んだ。うまくいったのもあれば、そうでないのもある。この仕事でなければ入れない場所にも入れたし、会えない人にも会えた。どれもがとてつもなくおもしろく、自分の宝になった。遊びが仕事で、仕事が遊び。編集仕事ってそんなところがある。この仕事の面白さと広がりをこの仕事に興味を持ってくれる人に向けて書いていきます。

  • Text_Toshiyuki Sai
  • Title&Illustration_Kenji Asazuma

第1回編集とは何か ー ツブシの効く仕事

誇張された表現や物語、あるいはおかしいことをマンガみたいだ、ということがある。常識ではありえないようなことが起こったり、笑ってしまうようなことについて一度は口にしたことがあるかもしれない。

昔のマンガはそういう意味では、よりマンガ的だった。いろんなキャラや設定などが、読者のはるか上を行く意外性で、あまりの飛躍に読む側も気圧され、ただそれを受け入れるしかなかった。

特にスポーツマンガはすさまじかった。コンプライアンスとか忖度とかそんなのが一切なく、この世界とは異次元のパラレルワールドな展開が繰り広げられていた。ある種のファンタジーといってもいい。魔球なんてかわいいもので、魔人が出てきたり、実在の人ではありえない能力の持ち主のような者もいた。

好きなのは『キャプテン翼』でスペイン代表のミカエル。電動立ち乗り二輪車セグウェイに乗るように、ボールに両足で乗りドリブルする。まるでサーカスの玉乗りだ。

リアリティを追い求めるような作品が出てくるのはずいぶん時代が下ってからだ。

傑作野球漫画『巨人の星』では中学生の花形満がスポーツカーを運転し、テニス漫画『エースを狙え』の竜崎麗華は、高校生なのに縦ロールでお蝶夫人と呼ばれていた。ともにアニメになり、およそ日本中の小中学生は熱狂していた。実在すれば捕まるか、校則違反で退学だ。

そんな昔のスポ根マンガやドラマでは、コーチが相手チームや選手をコンピュータで分析するというシーンがよくあった。パーソナルコンピュータなんて概念はなく、大きな筐体と記憶媒体としてのオープンリールテープがくるくる廻っていた時代。見ている側はフィクションだからできることで、実際はどうかなどは問わず楽しんでいた。いつかそんな日が来るかもねくらいなものだ。

しかしそんな日が来てしまった。

今日サッカーなどチームスポーツのゲーム分析や戦術などの領域で、コンピュータは効率的に使われている。チームが保有しているゲームやトレーニング中のデータを統合したものを目の前の試合と掛け合わせ、アナリストやコーチ陣は対戦相手の弱点を突く戦術をゲーム中に導き出しているのだ。

ドイツIT大手の「SAP」という企業が、この分野の最先端だという。

一昨年日本で開催されたラグビーワールドカップで選手たちのユニフォームの背中、首の付け根の下にあった四角い箱のような突起を覚えている人もいるかもしれない。あれはGPSトラッカーというもので、選手の走行距離や脈拍、乳酸値などのスタッツをゲーム中に集める機器だ。選手の動きや疲労度などを記録追跡し、コーチは選手のポジショニングや交代を効率的にコントロールできるようになった。

トレーニング方法から、体のコンディショニングやケアにいたるまで、これからのあらゆるスポーツ選手はコンピュータに管理されそうだ。

時代がマンガに追いついてきた。

テクノロジーは、ぼくらが想像しているよりはるかに早いスピードで進んでいる。

テクノロジーは人から職を奪うのか

オックスフォード大学のマイケル・オズボーン氏が2014年に「あと10年でなくなる仕事」を発表した。コンピュータやロボットなどの技術革新のために機械にとって代わられるという仕事だ。

代表的なのは銀行の融資担当者、電話オペレーター、会計事務員、法律事務所のパラリーガルなど。他にもビッグデータによって、これまで難しそうと思われていた仕事まで機械がやるようになるかもしれない。 

例えば医療診断もそうだ。ニューヨークの病院が「IBM」と協業し、人工知能を使った治療計画を成功させたというニュースもある。

それから7年たったが、予言はまだ当たっているとはいえない。

レコードやカセットテープの復活ブームのように簡単にいかないのが我々人間の情緒的価値観だ。機能や実用などの合理性だけでは、人は動かない。携帯音楽プレーヤーもいいが、真空管アンプとプレーヤーで聴く音楽の価値というのもある。

とはいえ、ビデオがラジオスターを殺したように、テクノロジーは間違いなくある種の仕事を奪うだろう。駅で切符切りをしていた駅員さんの不正を見分ける神業が、いまでもどこかで役立っていることを願うばかりだ。

それでもヒトにしかできない仕事はある。クリエイティブ系の仕事はそのうちのひとつといえるかもしれない。

クリエイティブな仕事とは、文字通りなにかをクリエイト(創造)する仕事だ。昔はカタカナ職業なんてくくられていた、広告プランナー、デザイナー、イラストレーターなどの仕事。物語を紡ぐ小説家や漫画家も含まれる。

機械は誰かが作ったものをコピーをすることは100%正確にできるけど、無からなにかを生み出すことは苦手である。

クリエイティブな仕事はそれらに限らず、いろんな分野にまたがっている。ものを作る人、例えば陶芸家や造形作家のような人もそうだし、造園家や料理人も創造的職業だ。クルマの組み立ては機械にできるかもしれないが、どんなクルマを作るのかは、人間側にしか決めることができない。

そんなクリエイティブ職の中に編集もある。

編集の仕事は、扱うものによって内容や特性が違ってくる。いまでは媒体も数も形も増えた。出版物もあれば、WEBのメディアもある。

もっともベーシックな意味で思い浮かべる編集者の仕事は、文芸の編集だろう。作家と密にコミュニケーションをとりながら、アイデアを出したり、資料を集めたり、事実の裏取り、調査など創作協力をする。もちろん作家に書く意欲を持たせる役割もある。そしてスケジュールを管理し、原稿を読んで感想を述べ、校正し、装丁家やデザイナーと打ち合わせて入稿し、そして本にする。

機械は「先生、原稿面白かったですよ」とは言ってくれない。

マンガもこれにあてはまる。何百万部と売れた作品を作者と一緒に作った編集者の物語は、いろんなところで語り継がれている。

雑誌の編集の仕事はもう少し幅広い。

小説やマンガは主に作者と編集者という少人数で進めていくが、雑誌などはもう少し関わる人数が多くなる。仕事にもよるが編集部員、ライター、カメラマン、デザイナー、イラストレーター、場合によってはモデル、タレント、スタイリスト、ヘア&メイクなどと仕事をする。

雑誌の編集は、想定読者が知りたがっていることを新旧問わず、あらゆるところから集めて整理、そして加工してページに収まるよう調整することだ。企画によってファッションならファッション、食べ物なら食べ物、あるいは旅行でもいい、そのジャンルについて、調査をして関係スタッフとともにページ作りに進む。それなりの知見というか素養が不足しているのであれば、付け焼刃でもいいから関連情報を集め、知識を詰め込まなければならない。

関わるスタッフのスケジュール調整、撮影時のチェック、デザイン入れ、原稿書きやその確認、入稿、そして校正とやることはとても多い。

ある意味、雑誌編集というのは映画監督であり、楽団でいうところの指揮者であり、組織のマネージャーなのである。要するにすべての仕事の「仕切り」役だ。

クリエイティブに頭を使うのと同時に、仕切り役としてフィジカルな仕事としても体を使う。ロケ撮影時には交通整理もしなければならないし、お弁当の注文もしなくてはならない。こういうところのセンスも大事とされるから、ある意味大変な仕事である。大人になって買ってきたおやつのセンスが悪いとみんなから非難される仕事というのはなかなかない。

時には外国人モデルには英語で話しかけなくてはならない。知識や体力以外に語学力まで試されるのである。

取材相手はほぼ初対面。事前に資料を読んでおくための読解力もなければならないし、その時間を取るためのタイムマネジメントや速読力も必要だ。コミュニケーション力に関しては、高度でないと話にならない。会話は知力。博覧強記とはいわないまでもそれなりに幅広い知識も必要だ。

こう書くとしんどそうだし、大変だと思われるかもしれない。確かに優れた編集者になるのは大変だ。

しかし失敗や挫折を経験しながらも、仕事を続けていくと徐々にこなせるようになってくる。優れた編集者にはなれなくても、それなりの編集者には誰でもなれる。そうなると仕事がとても楽しく刺激に満ちてくる。それなりな編集者のぼくが言うんだから間違いない。

仕事はなんでもそうだが重ねれば重ねるほど、人としての経験値と知力が増強される。取材を通していろんな人に会って話を聞く。一線級で働いている人の口からその人の仕事の一番大事なエッセンス、コツ、大切に思っていることなどを直接聞けるからだ。

近くの友人にテニスのトップスピンの打ち方を聞くよりも、松岡修造に直接聞いたほうがいい。それができるのが編集者なのだ。特権とはいわないまでも、知りたいところにアクセスするための高速道路は用意されている。

機械に編集はできない。

AIも進化すると編集ができるのではないのか。確かにできるかもしれない。いまではスポーツ記事や天気予報はAIが原稿を書けるところまで進んでいるらしい。

似たような傾向、あるいはビッグデータで読まれている記事から選択し、リコメンド的に表示される機能はいまもある。一部のニュースアプリなどがそうだ。しかしそれがさらに進化したとして果たしてどうなのか。

SNSを通してニュースを読んでいる人たちは、考え方やものごとの見方が偏るようになるという。似たような考えの人たちの意見を、つまり聞き触りのいい意見をクローラーが集めてくるからだ。

これをエコーチェンバー現象という(Wikipediaによると、コミュニティ内外においての意見や発言、主張などが響き渡るかのように拡散している様子であり、コミュニティの閉塞的な性質等による内発的な現象だ)。

このエコーチェンバーは、アメリカのトランプ大統領の選挙戦の頃から論じられてきた。あの選挙は人々が限定的な情報源に頼った結果、社会的なコンセンサスの質が落ちて公平な判断ができなかった結果だという人もいる。

ある調査によるとミレニアル世代の60%以上がSNSを一次情報源としているという。フィルタリングされた情報だけで政治志向などを合成され、それが投票行動に結びつくというのは社会にとって不利益としかいえない。

もしあなたのアプリにどこか特定の国を蔑むような、差別感情を煽るような記事ばかりが表示されていたら注意したほうがいいかもしれない。

ちなみにぼくのニュースアプリは、いつも阪神タイガースと欧州サッカーが上位に表示される。関連の記事を頻繁にクリックしているからだ。

しかしヒトが編集すれば、偏りは薄まる。

Yahoo! ニュースは“中の人”がいて取捨選択は人力でやっているという。最大公約数な人々が反応するニュースをデータと経験から選別し、偏りのない公平な立場で掲載しているそうだ。ある意味ポピュリズムとも言えるが、日本を代表するWEBのニュースメディアのひとつとして地位を築いた。

日本の新聞、テレビなどの大メディアはアメリカほど政治的な偏向はないけど、それなりに思想的スタンスはある。編集は恣意的な行為なのである。

ヒトが機械と違うのはこの点だ。気ままに自分勝手に思うままに判断する。ナスは美味しいけど、漬物になっているとイヤとかいう人を知ってるが、そんなの機械には理解できないだろう。

雑誌編集というのはそんな気ままな作業だ。決められた判型の中にどんなサイズの文字でも写真でもイラストでも自在に配置することができる。

メッセージを主張したいのであれば、文字を大きくレイアウトするとか、写真がいいから大きく切り抜いて使うとか、まるでキャンバスに絵を描くような気持ちでページを編集できる。こんなことは逆立ちしたって機械にはできない。

思いもよらない関連性のなさそうなところからアイデアを持ってくるとか、読者の予想をいい意味で裏切る企画とか。こういうのが編集の楽しさだ。

池波正太郎の作品からインスパイアされた、食べ物特集を機械に作ってくれといっても難しいだろう。

ノスタルジーを感じる旅行企画を考えろ、シズル感のあるグルメ記事を作りたい、冒険心が沸き立つクルマの広告を作りたいなんて要求はAIやロボットではお手上げだ。

さらに編集者は人に会いにいって、話を聞いてそれを記事にする。ネットのアーカイブの中にない話や個人の経験談だ。やはり機械に勝ち目はない。

総合的な思考法

雑誌の編集作業は、ヒトが集まって話し合うところから始まる。

媒体の特性をベースに特集や企画の方向性を決めるのがまずスタートライン。そこから集まった人々が企画を考えていく。

一般的な編集会議というと、編集長以下、編集部員が一同に集まってやるというもの。出版社や雑誌によってはフリーの編集やライターが参加することもある。専門分野を持っているそういう外部スタッフがいることによって、より幅広い意見交換ができる。

あらかじめ決められた特集やら企画やらのテーマに沿って、参加者が自由にアイデアを出す。前例にとらわれないアイデア、枠組みから大きく外れるようなもの。アイデアを横に広げるのだ。

デザイナーやスタイリストから出てくる面白そうなアプローチ、切り口も参考にする。感性を使いながら柔軟な発想で、アイデアを水平方向にどんどん広げていく。

こうした思考法をクリエイティブシンキングとも呼ぶらしいが、そんな言葉を知る前から誰もがそうしている。

この段階では正解を出さなくてもいい。まずは問いを考えるのだ。おもしろそうな旅行ってどんなものだろう、人を驚かせるレストランってなんだろうとか。答えはいらない。

そして次にこの問いのおもしろさを検証する。そしておもしろそうな問いや切り口を選んで、そこから答えに向かって進めていく。

アイデアや情報を集めて整理して、広がったものを整頓し、関連するアイデアやネタをグループにまとめていく。そして問いの答えに近づいていく。合理的に論理的に。

この過程をロジカルシンキングともいう。

同時にそれが面白いのか、読者のニーズに合うのかを問いながら最終的な特集骨子を組み上げる。この批判的な目で情報を精査する。これがクリティカルシンキングだ。

このクリエイティブシンキング、ロジカルシンキング、クリティカルシンキングは、ビジネスで必要とされる思考法だという。

アイデアを広げ、合理的に整理し、好悪を検証する。どんな職種、職位の人でもやっていることだ。

これを一語にまとめてエディトリアルシンキング(編集思考)と呼ぶのもいいかもしれない。

編集者の仕事をしていれば、この編集思考は鍛えられる。加えて文章力、コミュ力、プレゼン力も身につく。

要はツブシが利く。

編集以外にも商品の開発や企画、マーケティング、広告、お店のプロデュースなど幅広い分野の仕事ができる。実際、これらはぼくらの会社でやっていること。これまでの編集仕事を通して得られた知見がこれらの仕事に役だった。

もしあなたがAIやロボットに奪われそうだと思う仕事をしているなら、編集思考を身につけたほうがいいかもしれない。

PROFILE

蔡 俊行
フイナム・アンプラグド編集長 / フイナム、ガールフイナム統括編集長

フリー編集者を経て、編集と制作などを扱うプロダクション、株式会社ライノを設立。2004年フイナムを立ち上げる。

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