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COLUMN

ヒップなエディトリアルシンキング

  • Text_Toshiyuki Sai
  • Title&Illustration_Kenji Asazuma

第14回思想信条を持とう

昭和の戦争が終わってからずいぶん経つ。

ぼくが生まれたのはその戦争が終わって20年経たないくらい。それでも子供の頃は戦争の跡というか影を引きづる場面に出くわすことも少なくなかった。育った地元に軍需工場が点在していた港湾地域があり、そこに度々空襲を受けたので、近くの小山には洞窟が掘られ防空壕として使われていた。子供時代そこで遊んだものだが、近くのおじさんに「あそこらへんはまだ不発弾がいっぱい埋まってるから危ない」なんて脅されたものだ。

夏や秋に催される田舎の祭りなどでも、四肢の一部が欠損した軍服を着た傷痍軍人らしき人が、辻にゴザを敷いて心付けを得ていた。本物の軍人かどうかはいまとなれば不明だが、まだそんな人がいても不思議ではない時代だった。

酔ったサラリーマンは軍歌を歌い、パチンコ屋では軍艦マーチが流されていた。父や叔父たち世代は戦争を知っている世代である。

その戦時中に生まれた人たちは、いまでは後期高齢者である。昭和はずいぶん遠くなった。

若い世代の一部ではアメリカと戦争をしたことを知らない者もいる。彼らにとっては昭和の戦争も十字軍やレコンキスタのように、どこか遠くの国で起こった遠い昔の事件くらいのことなのかもしれない。

あの戦争では日本中の都市や町が大きな被害を受けた。原子力爆弾が投下された広島、長崎、そして大空襲のあった東京などは文字通り焼け野原になった。

敗戦後、日本は勤勉な国民性と世界的な経済の成長、朝鮮戦争などの軍需景気など複数の原因が合わさって、世界が驚くような急成長を遂げた。

1956年の経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」以上にインパクトを残しているコピーはない。食べるものにも困っていた時代から、文化的な生活へ。それまでの復興成長から近代化への変換点で、ここから経済最優先に進むことになる。日本は何にも増して豊かになろうと、ここからがむしゃらに動き出したということだ。

そして3年後の1959年、ミュンヘンで行われたIOCの総会で、その5年後に東京でオリンピックが開催されることが決まった。

世界が日本にやってくる。

日本は大急ぎでいろんなものをこしらえなくてはならない。

都市をオリンピックに向けて開発するにあたり、壮大なグランドデザインを企図する余裕も時間も足りない。さらに日本全体が財政に困窮し、予算も潤沢にはない。優先順位は競技場や新幹線、首都高速などのインフラに割り当てられる。そうしたことにかかる用地買収などの費用も抑えなくてはならないことから、日本橋の上に屋根をかぶせるように道路ができた。そこには美意識というものがつけいる隙はなかった。とにかく大急ぎでつくれ、体裁は問わない、と言ったら言い過ぎか。

地方都市ではまだ国道も舗装されていない時代である。予算どころか物資も不足している。貧しい地方からは都市部に大量の人口も流れてくる。都市は無軌道に拡大し、街づくりは追いつかず、狭いエリアにめいめいが好き好きに建物を建てていた。そのインフラ整備で無計画に電柱やら上下水道やらが整備される。ただでさえ狭い道。建物との干渉のせいで道に突き出た電柱が交通の妨げになっている生活道路もある。消防車などの緊急車両が入れない危険家屋ゾーンは、21世紀の今日でもそのままだ。

いまでは細い道路が入り組んでいて、タクシーの運転手さんでさえ行きたがらないエリアが東京には少なくない。以前経堂に住んでいたが、世田谷区のあのあたりは道が入り組んでいて地元の人でも苦労するくらいで、夜タクシー帰るとき運転手さんに嫌な顔をされたものだ。

東京は経済優先で、急いで付け焼刃的に広がってきた都市なのである。

どうして外国のスーパーは楽しいのか

一方、中世のヨーロッパでは何十年も何百年もかけて建物が作られた。建物のアーチや彫刻などは職人が一点一点気の遠くなるような時間をかけて作られた。

現代のスピードからするとそれは効率的ではないけど、そこで育まれた時間と美意識がその後の都市デザインの発展や成熟に与したといえるのではないか。

20世紀には様々な規制が世界中の都市のデザイン行政に規定された。ほとんどの都市では看板などは言うに及ばず、建物の色や素材まで、まるで文化財を守るように都市の景観を守っている。

欧米の都市部では電柱に電線がかかっているという風景をあまり目にしない。ロンドンやパリは無電柱化率100%で、電線が地中を通っている。これに対し東京は8%だ。

電柱を地中に埋めたのは、裸線による感電事故のため法律で架線工事が禁止になったという背景があるが、そこに美意識も働いていたのだろう。

数百年かけて作られてきた都市と、焼け跡から数十年で作られた都市を比較するのは公平ではない。戦争がなければ日本の風景もまた違ったものになったかもしれない。

あるいは明治の近代化の方向が西洋を目指すのではなく、固有の文化を大切にし、ソフト面だけ西洋を見習うという方法で発展してきたら、また違った都市風景になっていたかもしれない。京都にいまも残るような、中世からの建築様式の建物を大切に保存できていれば、京都に限らず日本中の地方都市が多くの人を惹きつけただろう。戦争で焼けたのは仕方ないが。

こういう欧米の審美観は、一般消費財にも影響を及ぼしていて、それが欧米のデザイン偏差値の高さの由来といえるのではないか。むこうのスーパーマーケットが楽しいという人も多いが、それもひとつの理由なのかもしれない。

モノが多いのが豊かなのか?

高度成長時代の日本は美意識より、実を取って豊かさを目指してきた。戦後すぐはものが何もない発展途上国だったのだからそれも当然だ。

まずは三種の神器といわれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫を手に入れるため、というかその先のさらなる豊かさを求めて人々は猛烈に働いた。そして次々に家電製品やクルマを購入した。

まだデザイン云々で製品を評価する余裕なんて買う側にはない。審美眼どころか、機能を手に入れることが優先だった。デザインは後回し。

もちろん当時の家電でもクルマでも、プロダクトデザイナーの手が入っている。あの時代の家電製品はいま見てもノスタルジックで味わい深い。この時代のプロダクトがいいという好事家もいる。

マズローではないが、出発点となる生理的欲求、安全欲求にあたるステージだ。生きていくために必要な基本的な欲求、そして安心・安全な暮らしを送りたいという欲求だ。

一通り生活必需品が出回って、毎年新製品が発表されるようなサイクルになってはじめて、商品の差別化に迫られデザインの見直しが図られた。テレビが薄くなったり、洗濯機が縦になるなど大きなイノベーションが訪れるのは、まだしばらく待たねばならない。

70年代の家庭には、大柄の花柄が入った炊飯器、湯沸しポットが鎮座していて、絵柄の入った冷蔵庫や洗濯機なども販売されていた。電話には欧米デザイナーのライセンスのカバー、便座カバーやスリッパにいたるまで、そうしたデザイナーのロゴが、控えめとはいえない存在感を発していた。

布団やタオルには必ず花柄などのデザインが施されていた。追いつきたいアメリカの大衆消費財のトレンドに乗った、こうした思想のないデザインが氾濫していた。

ルネッサンス期を通ってきていない、製造側の美意識の欠如というのもあるかもしれないが、まだ消費する側も熟していない。買う側もデザイナーなど名前の付加価値に重きを置いた。

どこの家庭もちぐはぐな色やデザインの調度品と家電製品で溢れていた。お母さんたちは、とにかく何でも買いたがったし、買ってきた。豊かさというのは、ものをいっぱい持つことだという時代だ。給料も年々上がっていくから、家にもものがどんどん増えていった。

これが高度成長期の家庭の風景だ。

作ったら売れる、売れるから作る。機能は年々進化し、価格もこなれてくる。しかしいつか天井がくるのだ。

そして今日、モノが溢れている。ありとあらゆるモノがコモディティとなった。

物質的にみると確かに豊かになった。しかし我々自身はどうだ、豊かになったのか?

いまではテレビ、冷蔵庫のない家はない。昭和40年代はまだテレビのある家に近所の人たちが集まって、冷えた麦茶を飲みながらプロレスを見ていた。いまでは各部屋にテレビがあり、ひとり一台という家庭も少なくない。

食べ物にも困らない。まれに何かの事情で飢えて亡くなったという胸が痛くなるようなニュースもあるが、それはレアケース。デフレの続いているこの国では、ワンコインで食事ができるお店も少なくない。コンビニに行けば、独裁の圧政に怯えている国の人からすればそこはパラダイスだ。むしろ食品廃棄物が社会問題になっているほどだ。日本は食料廃棄率が世界でいちばん多く、一人当たり年間152キロも捨てられている。

蛇口からは、ひねればお湯が出る。

現代は、ぼくの祖父母たちがどうしても手に入れたくて手に入れられなかったユートピアだ。

しかし何かに取り残されているような気がするのだ。

幸福度ランキングというのがある。国連が毎年行っている調査で日本の2021年の順位は、対象149国中56位。1位がフィンランド、2位デンマークなどの北欧諸国で、この順位はウズベキスタンやエルサルバドルよりも低い。

幸福度ランキングというのがある。国連が毎年行っている調査で日本の2021年の順位は、対象149国中56位。1位がフィンランド、2位デンマークなどの北欧諸国で、この順位はウズベキスタンやエルサルバドルよりも低い。

なにに対して我々は、こんなに不安と不満があるのだろう。

がんばって、がむしゃらになって、みんなで登ってきた山のてっぺんに登ったのに。

この幸福度を説明するファクターとして挙げられているのは、次の6項目。

一人当たりの国内総生産、社会的支援、出生時の平均健康寿命、人生を選択する自由、他者への寛大さ、そして公職者が汚職、堕落しているという国民の認識だ。

国内総生産や社会的支援、平均寿命では上位の国と変わらないのに、他者への寛大さが例年とりわけ低く、単体でみると62位(2020年調査)という結果になっている。

近年の炎上騒動やらを見ると、そうなのかなと納得できる。ギスギスした社会。主張したことも主張しづらい空気。

政治にすべての責任を負わせるつもりはないが、この国をどうしたいのか、この先30年、50年後のグランドデザインはどうなのかというビジョンを持つ政治家はいるのだろうか。

都市計画、ものづくり、国民の生活、ましてやいまのコロナにウクライナ危機。大きな思想・信条を持って任に当たっている人はいるのだろうか。

ぼくの会社の理念である「世の中をヒップにしよう」というのは、ある種の信条を持って仕事をして、少しはマシな世の中にしようというものだ。

信条のない雑誌づくり、いまでいうとメディアづくりではコアなファンは生まれない。これはどの分野の仕事でもそうだろう。

世の中にすこしでも自分の爪痕を残したいのであれば、思想と信条が不可欠なのだ。

PROFILE

蔡 俊行
フイナム・アンプラグド編集長 / フイナム、ガールフイナム統括編集長

フリー編集者を経て、編集と制作などを扱うプロダクション、株式会社ライノを設立。2004年フイナムを立ち上げる。

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