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COLUMN

ヒップなエディトリアルシンキング

  • Text_Toshiyuki Sai
  • Title&Illustration_Kenji Asazuma

第13回語学力

前回、海外へ出ようと書いたけれど、できればひとりで出かけるのがより望ましい。

旅先の予定を気ままに変更できるし、行きたい場所へ行ける。ふらりと入った美術館に一日中いようが、誰にも気兼ねない。好きなものを飲んで食べられるし、いつ寝るのも起きるのも自由だ。しかしそれ以上に、自分を見つめ直すいい機会になる。

ひとりで旅したことがある人はわかると思うが、言葉の通じない異国にひとりというのは自分が見えない存在になったような錯覚に落ちいることもある。馴染めない異質な空気のようなものが作用するのか。スティングは「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」で、異邦人=エイリアンであることの矜持と疎外感を歌ってる。

ちょっとしたホームシックを一度も味わったことのない人生は薄っぺらい。いつもではない場所にいるのは、自分の中の哲学者と対面できるいい時間だ。

さて、そんなひとり旅では(ひとり旅でなくても)、ローカルの人たちとの交流が実に大事である。買い物をするにしても飲食店で注文するにしても、現地の人たちと会話できる能力があった方がいい。有益な情報や面白い話が聞けるかもしれない。

ここでいう会話とは、もちろん英語である。世界の共有語。リンガフランカ。およそ15億人が母国語、あるいは第二言語としてコミュニケーションの道具として使ってる。英語話者であれば、世界どこへ行っても困ることはない。

誰もが痛感しているとおり、我々は英語がヘタだ。中高で6年間も習ったのに、なぜ話せるようにならないのと自虐を込めて笑う人も少なくないが、当然といえば当然。ある程度の年齢を経てからの新言語取得は、とてつもない努力を要するという研究結果がある。しかも近い言語体系ならともかく、まるで逆といってもいい言語。

観光や仕事で、数日の外国滞在から帰ってきた人のほとんどが「英語、勉強しよ」というのだが、実践しているのを聞いたことがない。やらなくてはならないのにやらない。

まるでギターを習い始めたときに、聳え立つ「Fコード」の壁のようなものだ。

ギターは左手で弦を押さえ右手で弦をつまびくわけだが、左手に決まったフォームの形がいくつかある。最初の関門が、左手人差し指ですべての弦を押さえ、残り指でそれぞれ指定の場所を押さえなくてはならないバレーコードというやつである。大概の人はこの難しさに心折れ、その先に進むことはない。CやDやGなんて簡単なコードだけでも楽しく弾ける曲もあるが、やはりこの難敵を倒さないと蜜を味わえないのだ。Fコードはいうなれば、新しい冒険が始まって、スライムなんかをやっつけてレベルが2とか3になったときに突如現れるラスボスのようなもの。レベルに対して強すぎて、誰もが「こんなクソゲーやってらんねえよ!」となる。

英語もこれと同じだ。

義務教育で習っているから誰でもベーシックな文法と単語は知っている。受験の名残でいくつかの難しい単語は覚えているが、実践ではスライムも倒せないレベルだからいざ勉強しようと思ってもレベル2のレベルアップ音が鳴る前に頓挫する。三日坊主というけど、そうではなくて敵が強すぎて戦意を消失しているだけというか、みるみる上達しないので、諦めてしまうというのが大方のところだろう。

しかし語学習得は、楽器の習得のような繰り返し練習を何度もウルシを塗るように薄く重ね、それが厚くなるまで気の遠くなる努力をしないと身につかないものである。来る日も来る日も、空いてる時間はずっとギターを弾いていられる人だけがプロのギタリストになれるのだ。某ギタリストは毎日何時間ギターを弾いてるかというインタビューで、「トイレとメシと寝るとき以外(はいつも触っている)」と答えたという。

ネイティブに囲まれて雑談で盛り上がる!?

駅前には著名な英会話スクールがいくつもあり、どの書店にも必ず英語コーナーがある。お隣韓国も英語熱が高いというが、中国も含め東アジア国民はこの言語に特別な感情を抱いている。愛憎相半ばするような複雑なものだ。だからといって無視できないのがもどかしいところではある。

だったらここらで心を入れ替えて、本気で学習するしかない。

1万時間の法則というのがある。マルコム・グラッドウェルという元新聞記者による著書にある言葉で、何かをマスターするには1万時間あればできるというもの。一日3時間を1年間でおよそ1000時間。×10年。確かになんでもマスターできそうではある。楽器も語学もこれにあてはまるというのだ。

さすがに気の遠くなるような時間だが、やる人はやるし、そうでない人はいつまで経ってもじっとしたまま。そして海外から帰ってきてまた同じセリフをつぶやくのである。

中には、留学しないとマスターできないのではという人もいるが、これは違う。留学しても日本人社会から出てこないで、まったく話せないという人もいる。

要はやる気の問題だ。日本から一歩も出たことないけど、流暢な英語を話す人を何人も知っている。

言い訳を探さず、やろうと思ったらやろう。

特に編集に関わる仕事は、英語を使わざるを得ないケースも多い。外国人モデルとのコミュニケーションもそうだが、海外へ取材へ行くということも少なくない。

ではどこから手をつけるべきか。

それは現時点の英語力にもよるが、以下は真理である。

・読んでもわからない文は、聞いてもわからない
・発語できない言葉は聞き取れない
・文法がわからないと文章を作れない(質問できない、答えられない)

書くとキリがないけど、やはり中学校英語をきちんとやり直すというのが、回り道のようで近道のようである。

楽器やスポーツと同じで、本を読んだだけでうまくなるわけではない。繰り返し練習しなくてはならない。中学英語の教科書に載っている和文を瞬時に英語で言えるようになるまで声をだして憶える。たぶん何ヶ月もかかるかもしれないが、これで会話力は間違いなく上がる。というか話せるようになる。

これがレベル1。

これをクリアすればあとはどんどんレベルが上がっていく。と同時に勉強負荷も落ちるので継続するのも骨でなくなる。

あとは何年もこれを繰り返せば、ちょっとしたラスボスくらい軽くクリアできるようになる。

ネイティブ同士の輪に入り、フランクに雑談で盛り上がる?

それは来世の目標としよう。

PROFILE

蔡 俊行
フイナム・アンプラグド編集長 / フイナム、ガールフイナム統括編集長

フリー編集者を経て、編集と制作などを扱うプロダクション、株式会社ライノを設立。2004年フイナムを立ち上げる。

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