ここでプロにならかったら、絶対に後悔する。

ー 梅原さんとしては趣味でゲームを続けるつもりだったのが、プロになってしまうわけですよね?
梅原:趣味程度だと思っていたのが自分だけだったというか……。当時はカードシステムというのがあって、試合数や対戦成績が記録できるようになっていたんです。で、僕としては片手間もいいとこで、それこそ363日ゲームセンターに通っていた頃の1/3かそれ以下の頻度でゲームをしていたんですけど、それでもなぜか試合数が全国でもトップ10ぐらいに入ってたんですよ(笑)。
ー すごい(笑)。
梅原:そのときに「世間の人はそこまで格闘ゲームをやってなかったんだ」とびっくりしつつ「じゃあ、あれだけやってた自分は、そりゃあ勝つわな」と思って。その後、しばらくしてアメリカで、日本と韓国とアメリカそれぞれの国の全国大会のチャンピオン同士が戦って、その勝者が毎年夏にラスベガスで開催される「Evolution」という格闘ゲームの世界大会に招待してもらえるというイベントがあったんです。そこになぜか、3カ国のチャンピオンとは別枠で僕の席が用意してあって。というのも、ゲームから離れていた時期に、海外では「ウメハラはどうした?」「死んだのか?」「結婚したのか?」みたいな憶測が飛び交って大ニュースになっていたみたいで。
ー 世界チャンピオンが急に姿を消したわけですからね。
梅原:それで「なんかいろいろあって復活したらしい」「じゃあ、せっかくだからあの伝説の男を呼ぼう」となったらしく。そのイベントで僕は優勝して、そのあと招待された世界大会でも優勝したんです。だからもう奇跡みたいな流れなんですけど、この復活劇を見ていた、のちに僕の初代スポンサーになる米国企業から「ゲームをやめていた理由は生活ができないからなんだって? だったら私たちが生活の面倒を見るから、また本気でゲームをやってみないか?」と言われたのが2009年でしたね。で、プロ宣言したのが2010年。

ー プロになるにあたって、迷いはありませんでした?
梅原:ないと言ったら嘘になりますね。やっぱり周りの人たちも9割がた「まあ、めでたいことだとは思うけど、一生の仕事にはならないよね」みたいな反応で、自分自身もそんなに続けられるとは思わなかったので。ただ、長年ゲームをやっていてなにが一番苦しかったかというと「ゲームは将来の役に立たない。仕事にできない」と言われ続けて、自分でもそれがわかっていたことなんです。その意味では、これまでとはちょっと状況が変わったんですよね。
ー 続かないかもしれないけれど、一応は仕事になった。
梅原:そう。それまではどんなに頑張っても趣味の範囲を出ていなかったので。あと、自分の人生を振り返ったとき、特別なことってほとんどなかったんですけど、唯一ゲームだけは、なんだかよくわからないけど特別なことが起きるし、もしかしたらこれからも特別なことが起こるんじゃないかという期待もありました。なによりも、プロゲーマーにならない選択をして社会に戻れたとしても、きっとどこかで「あのとき挑戦していたらどうなったんだろう?」と絶対に後悔するのがわかったんですよ。それは僕にとっては幸せな人生ではないような気がして「だったらこのチャンスに賭けてみよう」と。