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フイナム スケートボード クラブ番外編 〜パリのスケートシーン〜
HOUYHNHNM SKATEBOARD CLUB AFTER SCHOOL

フイナム スケートボード クラブ番外編 〜パリのスケートシーン〜

2018年からはじまった『フイナム スケートボード クラブ』。全12回をやりきって、2019年12月をもって閉校したこのクラス。今回は、その課外授業というか番外編。東京の次の2024年オリンピック開催地のパリのスケート事情についてのレポート。

  • Photo_Kenji Nakata
  • Text_Senichiro Ozawa
  • Edit_Hiroshi Yamamoto

04.スポーツではないスケートの火種。

伝説のストリートスケーター、マーク・ゴンザレスとバンジャマンのアートブック『LE CERCLE』。

ストリートとスケートと写真の良い関係。

パリのスケーターでコンテストで優秀な成績を残しているスケーターの名前を、バンジャマンやサンチアゴたちは、知らないと言った。知らないとやっぱりマズいかな。そんな顔をしてくれたなら、まだオリンピックの次回開催地のスケーターだなって思うのだけれど、悪びれる感じはなかった。興味があることがはっきりとしていて、スケートはピンポイントに多大なエネルギーを注ぎ込むというのが、バンジャマンたちのスケート観。

もちろん、それがスケートのすべてではない。バンジャマンや、Sbを刊行している僕のような世代にとっては、90年代後期からのストリートスケートがメインだったというだけ。その前の時代は、コンテストも盛り上がっていたし、デルマーの大会でクリスチャン・ホソイが大活躍して、一世を風靡していた。レジェンドのボーンズブリゲードの面々だって、トニー・ホークを筆頭にコンテストやエキシビジョンで活躍してビッグアップしたところもある。

そして、ストリートリーグやオリンピックといったメジャーなコンテストが目白押しの現代。再びコンテストに強いスケーターが注目を集めている。ようは、90年代~2000年代初頭のあのジリジリとしたストリートスケートとそのカルチャーに毒された者にとっては、ストリートスケートの面白さやカッコヨさが永遠だというだけ。そして、そういうOG(パイセン)がパリには多い。というか、パリのスケートシーンは、まさにその90年代からグングンと伸びてきて、ストリートがメインスタンスになったような気がする。

もちろん路面がスムースで、ストリートにストレスが少ないことも影響しているだろう。東京オリンピック後の2022年あたりに、もう一度、パリジャンスケーターに話を聞いてみたいと思った。とにかく、今のパリジャンスケーターは相変わらずストリートがメイン。そして、コンテストでビッグアップする気はないから、スケートだけで食べていこうとするスケーターは少ない。

だいたい若い頃から、職業的な夢を明確に持っている人が多いので、本業(といったら語弊があるかもしれないが)をしっかりやりつつ、ことスケートに関してはお金や何物にもしばられないで夢中にやるだけ。そんな感じだ。

例えば、南仏で写真の勉強をしていたスケーターのレオは、パリでは映画の現場で働いてる。そして、スケートはノンスポンサーを貫き、ひたすら時間があればストリートを攻略している。11区生まれのサンチアゴは、その地区でスケーターとしては突出した存在になったが、そのスケート仲間たちは、バー(medusa)を営み、スケート写真の展示をしたりして、スケートはあくまでも好きなこととして存在している。そういえば、バーだけでなく、カフェとかでも、壁に掛かっているスケート写真はストリートのものばかりだ。

本屋(Ofr Librairie, galerie)でもそうだった。スケートを、写真や作品に残したいと思ったとき、やっぱり僕らはストリートスケートをセレクトしてしまう人種なのだろう。バンジャマンは言う。「インスタはじめデジタルの良さもある。そういった消えていく良さをよく知っている、レオたち20代のパリジャン・スケーターは、記録として保管できる本や紙の大切さを再認識しているのがまた面白いね」。

さすがヒストリックな街って感じがした。焼却できない価値の高い古文書がどっさりあるだけのことはある。ある日、バンジャマン行きつけのラボ(Atelier Publimod)についていったとき。現像を待って、コーヒー片手にオーナーと雑談しながら長い間滞在した。その間、ひっきりなしにネガを出しにくるのは、若い人たちが多かった。

オーナーに聞くと、スケート写真の現像やプリントはこのラボの売り上げシェアのトップ3に入るという。つけ加えると、バンジャマンがその中でも1番だという。マーク・ゴンザレスとバンジャマンの共作『LE CERCLE』も、ラボでプリントした大判のバンジャマンの写真に、ゴンズが直筆で絵を描いていったもので、それは絶対に紙でないと表現できないものだ。

そして、そんなOGのスタイルを見て育った次世代が、新しいスケートマガジン『Déjà Vu(デジャヴ)』をつくったりしているのだ。ここで伝え忘れていけないのが、女の子スケーターのリサの活動だ。スケートグラビアの被写体になるほど、ストリートスケーターとしてパリで名を馳せた彼女。リサが選んだのはスポンサーライダーとしての人生ではなく、ボランティアの道だった。

モンザビークやタンザニアをはじめとする第三国の街に、キッズが無料で遊べるスケートスポットを造っている。そして、去年自費出版でスケートマガジン『Out Of The Blues』をリリースした。そこに掲載されている写真やテキストは、各地でのボランティア活動のもの。このマガジンを1冊買うと、それがそのままスポット造りの寄付になるという仕組み。

そして、パリから離れた街でボランティアを続けるリサやキッズのために、パリのスケートショップにはそのマガジンが必ず置いてある。パリにオリンピックがやってくるのは4年後だけれど、それまでに、バンジャマンはじめパリジャンスケーターは夢中になって記録し、残しておくことが、まだまだある。東京のようにガラリと街並が変わってしまうことはないだろうけれど……。

ガールスケーターが自費出版する『Out Of The Blues』。バンジャマンは定期的に『THIS WAS JUST NOW』なる作品集もリリースしている。

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