言葉で音楽に太刀打ちできる、やっとたどり着いた境地。
ー ダブのお話がありましたけど、今のせいこうさんは、いとうせいこうis the poetというダブバンドを周り巡ってやっていますよね。
せいこう: is the poetでは、ダブに日本語を載せてポエトリーリーディングをやっているんだけど、例えば突き詰めていくと俳句の五七五のリズムが合うんですよ。たとえば、ぼくが「古池や」と言うと、その言葉の意味が頭の中に残っている状態でしょう。「蛙飛び込む水の音」と言わなくてもディレイが鳴っていると、そこにバンドメンバーが各々に古池のイメージを描いて演奏してくる。そうやって古池らしきものが浮かんでくるほうがかっこいいんだよね。
ー アイデアの出し合いなんですね。
せいこう: そうそう。凄腕のミュージシャンたちが集まっているのに、変に垢抜けた音楽をやるのはダサいというか。いなたい演奏をしたいんだよね。これはかつてDUBFORCEとして同じユニットのメンバーでもあったドラムの屋敷豪太が言ったことなんだけど。 4,5回ライブをやって、みんなの気心が知れてきたところに、屋敷豪太とDub Master Xがメンバー招集をかけたの。そこで今後の方針やアルバム制作とかの話をすると思ったら、「この頃慣れてきたから演奏がうまいけど、それってどうなのよ?」と言うわけ(笑)。スタジオミュージシャンとして上手い演奏は毎日どこかの現場でやっている。でも、DUBFORCEはそのために集まっているわけではないよねって。言っていることがめちゃくちゃかっこいいでしょう?
ー 屋敷さんは予定調和を嫌う人なんですね。
せいこう: それは本当の音楽の良さじゃないってことなんだろうね。お互いをもっと壊していける、もっと困らせろって言いたかったんだと思う。
ー is the poetはジャンルとしてはダブだけど、言葉を主体としているプロジェクトという立ち位置のおもしろさがありますね。
せいこう: 自分としては、これがやりたかったんだって何十年もかかってたどり着いたものであって。ぼくは1989年に『MESS/AGE』というアルバムを出して、そのレコ発ライブをやったときに、ヤンさんとDub Master Xから「俺たち勝手に演奏するから、勝手にラップをやって」って言われたんですよ。セッションが始まっても、その感じに合う歌詞なんてそんなにないわけです。今まであった言葉を出して乗り切ったとしても、気づけば曲が変わっていて。言葉は音楽に太刀打ちできない。ラップ技術と音楽はうまく融合できないんだなと思って、ラップを辞めちゃったんですよ。それから自分は古典芸能の世界に足を踏み入れて、どうすれば日本語で説得力が出るのか、言葉のおもしろさを教わりました。
ー それが最終的にis the poetにつながっているという。
せいこう: ダメだと思っていたことが全然できるじゃんって。ぼくの言語とバンドメンバーの非言語の演奏が重なっていく。そこから生まれる気持ちいいグルーヴは、単にリズムマシーンで正確にリズムを刻んでも打っても出るものではなくて。ちょっとずつリズムがズレながら、全員がひとつのビートを打ち続けるなかで生まれる心地よさ。それが不思議な魅力なんだよね。