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FASHION IN TURBULENT TIMESファッションにおける主観と客観。VOL.01
MONTHLY JOURNAL SEP. 2021

FASHION IN TURBULENT TIMES
ファッションにおける主観と客観。VOL.01

ますます細分化されていくファッションの世界。もはや絶対的な正解は存在せず、ひとそれぞれが自分の好き・嫌いを楽しむマイクロトレンド時代が到来しました。そんななかでのファッション特集、テーマは “主観” と “客観” です。いまフイナムが注目するブランドと、ショップバイヤーに聞く、ダイナミックなトレンド動向を一本ずつの記事にまとめます。まずは “主観” 編。今シーズン、日本に本格上陸した〈タイガ タカハシ(Taiga Takahashi)〉と3Dコンピューター・ニッティングという先進的な技術を駆使する〈シーエフシーエル(CFCL)〉を取り上げます。服づくりに対するアプローチは違えど、同じくらいの熱量でファッションと真摯に向き合う二つのブランドがいま浮き彫りにするものとは。

PROFILE

髙橋大雅

1995年生まれ。神戸市で育ち、2010年に渡英。「ロンドン国際芸術学校」を卒業後、13年に「セントラル・セント・マーチンズ」のBAウィメンズウェア学科に進学。在学中にアントワープやロンドンの一流メゾンで経験を積み、17年に同校卒業後、自身の名を冠したブランド〈タイガ タカハシ〉をニューヨークで立ち上げた。2021年秋冬シーズン、日本に本格上陸。

考古学のように昔のものを捉え、100年後の未来に残るものをつくる。

ー 何かをつくることは幼い頃から興味があったのでしょうか? ファッションに興味を持った頃のことも教えてください。

もともとひととコミュニケーションを取ったり、社交的にすることが不得意で、どうやったらソーシャルになれるのかが子供の頃の悩みでした。一方で、絵を描いたり、ものづくりを通して自己表現することは好きでした。表現を重んじる芸術の世界に憧れがありましたし、美しいと感じられるものに強烈に惹かれる性格だったと思います。

思春期になると自分がどう見られているのかを服を通して意識するようになりました。つくる側の意識が働いてか、「そもそも服はどうやってつくられているのか」という好奇心が芽生えてきました。そうして、中学生の頃、本や雑誌でデザイナーの存在を知り、なかでも興味を持ったひとたちがみんな同じ学校を出ていると知ったんです。

ー それが後に髙橋さんが進学される、ロンドンの名門「セントラル・セント・マーチンズ」ですね。ロンドンにはどのタイミングで行かれたのですか。

もしそこに行けば、彼らの考え方を勉強できるんじゃないかという思いはありました。中学生の頃、この学校が主催する10代向けのサマーコースをたまたま目にしてすぐにロンドンに行ったんです。クリエイティブな作業が、文化や言語の壁を超えてさまざまな国のひとと繋がれることが分かりました。それがこれからの人生は海外で過ごすと決意したきっかけになりました。

中学を卒業したあとは、芸術を学べるロンドンの高校に入学してファインアートとファッションを学んでいました。芸術が文化として根付いている国々のひとたちが他人との違いを、ネガティブではなく、魅力や個性として評価してくれたことはすごく衝撃的だったのを覚えています。

Tシャツにジーンズというラフな格好であらわれた髙橋さん。

ー 「セントラル・セント・マーチンズ」での4年間で、どのようなことを得たのでしょうか。

ものづくりの追求によって自分自身を俯瞰できること、自分とは何なのかを服というフィルターを通して自問自答するきっかけを与えてもらえました。自分の視点が一番変わったと思えるのは、ファッションが芸術のカテゴリで見られているという事実でした。ただ単に着る服としてでなく、その服がどう誕生したのか、社会情勢と装いの連動性といった見方も含めて芸術の文脈で捉えているんです。縫製技術などのテクニカルなことだけではなく、最初のコンセプトをどうつくるかという部分が一番大事だと気づかされました。

ー 在学中より名だたるメゾンで研鑽を積んできましたが、卒業後は独立してニューヨークに移られました。ヨーロッパを離れることにどんな意味があったのでしょうか。

彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシの言葉に「大樹の陰では何も育たない」というのがあります。彼は、ロダンの工房に一旦身を置くもののすぐに独自の道を歩むことを決意しました。結局、真似事をしても決してそのひとを超えられない。いまの自分の服づくりの根底には、いままで学んできたことをすべて否定するという態度があります。

本当にしたいことは何なのかを自問して気づいたのは、常に新しいものを提案するのがデザイナーの役割だとしたら、自分には「過去の遺物に真の美しさを見出すコレクターの精神」が備わっているということでした。いまの自分の服づくりの根底には、自分がいままで学んできたことをすべて否定することがあります。ビジョンの先には、服だけでなく、現代芸術があるので、アーティストやギャラリーがあふれている現代美術の街であるニューヨークに身を置く必然性もあったんです。

ー アンティークや古物を「集める」ことは幼い頃から好きだったのですか。そうしたコレクター精神がご自身のクリエイションにどのように結びついていくのでしょうか。

異常に好きでしたね。他人から見たらゴミにしか見えないものにすごい魅力とエネルギーを感じていました。10代の頃からさまざまな国々で海外のアンティークディーラーや古美術商を通じて70~100年以上前の服を収集し、それらの「コレクション(蒐集)」を通して “考古学” の観点から衣服を研究しています。

なぜ、自分たちがこのような服を着ているのか、100年前の服はこのようであった、そういった衣服の歴史を一切知らずにデザインすること自体が無責任に思えました。私が行っているのは、〈タイガ タカハシ〉を通して、過去の衣服を解剖する感覚に近く、衣服がタイムカプセルのように時間に耐えて生き残ることで、過去の記憶を追体験し、失われつつある文化や伝統も閉じ込めることができると考えています。

ー 〈タイガ タカハシ〉はいま、どのようなアプローチで服づくりをされているのですか。

「過去の遺物を蘇らせることで、未来の考古物を発掘する」をテーマにしています。本当のものづくりの価値は歴史のなかにすでに存在しているのではないかという視点から、考古学者のように恣意性を排除しながら、過去のものづくりの背景や性質を研究しています。一点一点の服の、生地やパターン、縫製にいたるすべての要素にある歴史や服づくりを、どう自分が理解するかが反映されています。

〈タイガ タカハシ〉の代表作のひとつであるデニムジャケット。

ー 特にこの秋冬コレクションでキーとなるポイントについて教えてください。

単純なことですが、100年前の服が自分の手元にあるのは、その服が100年間生き残ったという証拠です。そして、この服がどうやってつくられているかを理解すれば、自分がつくる服も100年後に残るのではないだろうか。時間をサバイブするような服をつくりたいのです。そういった観点もあり、一種の “分岐点” ともいえるいまから100年前、1920年代のアメリカではじまった大量生産、大量消費が生まれる前の時代のものづくりに関心を寄せています。

アメリカ型資本主義社会を背景に、職人による伝統的な手の技がなくとも生産可能な体制、そこで生み出された服の仕様や設計には、効率が追求され、デザインといわれる要素が全くといいほど存在していません。直線的な縫製、平面的なパターンによる簡易化、重労働に耐えるための、生地の耐久性やポケットの形状…、当時デザインという概念は恐らく言語化されていなかったのではないかと。そして、自分のなかで、それらが着物の設計と合致している部分が多いのではないかと思い至りました。世代を超えて、引き継がれるもの。日本古来の和装の精神性とアメリカの大量生産の合理的なマインドを融合させられないか。それが、今回のコレクションのスタートにありました。

視点を変えると、アメリカの古着に価値を見出したのは日本人ですから、一周回ってこれは既存のものをよりよくしていくという日本の特性が生んだ文化、イノベーションではないかとも思うのです。神道の観点から言うと「万物に神が宿る」という日本古来の感覚と考えに則って、ステッチ、縫製ひとつとっても細部に神が宿る、そのような感覚を意識しています。

2021年秋冬コレクションのルック写真は、ロバート・フランクを想起させるようなモノクロのビジュアルでまとめられた。

ー 生地ひとつとっても機械そのものが残っているか、稼働できるかといった問題も含めロストテクノロジーはたくさんあるとよく耳にします。

相当ありますね。産地の方々と試行錯誤しています。当時のスタンダードやハイテクが、いまでは非効率という理由などで失われつつあります。昔の技術ほど再現が難しいことにも気づきました。また、生活様式や骨格、快適という概念も違うので、必然的にパターンも異なります。そうした意味でも、考古学者のように “遺跡” を掘り下げていくうちに当時のひとたちの思想、文化、伝統、時代背景などに触れられるような感覚があります。

ー タグは「T.T」と自身のイニシャルだけなのですね。髙橋さんが志向されている永続性にも関わっているのでしょうか?

そうですね。100年程前の時代はファッションブランドという概念がなく、テーラーが個人のためにオーダーメイドで服をつくっていました。服の持ち主のイニシャルを入れるのが当たり前だった文脈にならい自分のイニシャルだけ入れています。古い服はものとしてはいいけれど、日常的に着ることが難しいことが多くあります。ものの本質的な部分は残しつつ、自分が着たい、着られる服をつくるという前提もあります。コンセプトとプロダクト、両方の視点を兼ね備えたものづくりをしています。

時代が違うということは社会も、着ることにまつわる価値観も違います。そうした “いまは違う” 部分を変える必要があるので「再現」は意味がありません。歴史的にも技術的にも非常に奥が深い生地、ボタンやステッチの糸、運針といった全部にぼく自身の要素が入っています。デザインというより、時間を閉じ込める感覚に近く、自分がつくった “タイムカプセル” としての衣服を未来のひとが開けたら、その服に自分の意思だけが残っているような。

〈タイガ タカハシ〉のタグにはブランド名ではなく、イニシャルがあしらわれている。アノニマスな雰囲気が漂う。

ー 現在、京都・祇園にある100年前の町屋で「髙橋大雅考古学研究所」を建設中と聞きました。京都という場所を選んだ理由を教えてください。

人生の半分近くを海外で過ごしてきたのですが、去年から日本で過ごすことが多くなるにつれ、日本固有の文化も勉強したいと考えるようになりました。客観的に日本人とは何かを強く意識することも増えました。日本に洋服がどのようにして入ってきたのか、そして、日本の建築のことも知りたいと思っていたとき、目が向いたのが、唯一生きた “化石” が集まった場所である京都、その街そのものに永続性があるということでした。〈タイガ タカハシ〉にとっても、実物を見て触ることで一番自分の服が生きる。だから、実際に手に取ってもらう場所は必要でした。

京都は自分にとって、記憶を遡った際に最初の記憶にある街です。家族で毎年、祇園にも行っていました。そういう意味で、自分の原点とも言える街でいまやっていることを見せたら面白いのではないかと思いました。

ー このプロジェクトのなかではイサムノグチの石彫刻をほとんど彫ったという石工の和泉正敏さんと作品を制作されているとのこと。髙橋さんの表現の広がりを感じさせます。

服だけではなく、建築設計や、香川県の牟礼で彫刻の制作していることも、髙橋大雅という現代美術作家として取り組んでいます。「髙橋大雅考古学研究所」は、服や建築そのものに加え、2階では日本の技術の文化の源流を研究したいと思っています。それらはすべて自分の芸術表現であり、失われる文化や技術を蘇らせることで立ち現れる、ある種の美学を視覚化したお店自体が自分の総合芸術だと考えています。将来、この場所も “遺跡” のようになることを願っています。「過去の遺物を蘇らせることで、未来の考古物を発掘する」が、芸術表現においてもテーマになります。そして現代美術の中心であるニューヨークでスタジオを構えることで、自分の肌で現代美術はなんなのか理解したいですし、自分に合うギャラリーに所属し、作品を定期的に発表して世界中のアーティストと勝負していきたいと思っています。

INFORMATION

Taiga Takahashi

Instagram:@taigatakahashi

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