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COLUMN

文・大島依提亜(おおしま・いであ)

これはグラフィックデザイナー大島依提亜さんの映画のコラム。映画の周辺をなぞりながら、なんとなしに映画を語っていく、そんなコラムです。懐かしいものから、いま流行りのものまで、大島さんの目にとまった作品を取りあげます。第二回目は、漫才が内包している映画性?について。ちなみに編集部内ではコウテイ推しが多かったです。

episode 2 M-1と映画(※決勝は見ていません)

仕事中、無音が駄目なたちで、作業しながら音楽を聴いたり、動画を流しっぱなしにしたりする。

動画といっても映像を見てしまうと仕事にならないので、耳だけで伝わるものを選ぶようにしていて、それを見るというよりは聞いている。

内容は、面白過ぎず、退屈過ぎず、でもやっぱり面白く…など行きつ戻りつしているが、重要なのは、そのとき手をつけている仕事と最もかけ離れた内容にすること。なので、人に言ったら驚かれるようなものを聞きながら作業している。手と頭がなるべく分離している方が良い。

あれこれ変えたり迷ったりすると煩わしいので、なるべく長尺いう事も重要な点だ。例えば、やたら長い謝罪会見などは最適で、不謹慎だけど何か事件がある度に自分の仕事効率は上がっている(はず)。

そんなわけで、作業用の動画を常に探す日々の中で巡り合ったのが「M-1グランプリ 2回戦全ネタ」だった。M-1グランプリ2020の2回戦の漫才師による全ネタが期間限定で公開されていて、それら全てを通しで見た、いや聞いた、いや仕事そっちのけで結構見入ったりもした。

1回戦を通過したのがシードを含めて500組、期間にして14日間の動画なので、トータル時間も中々のもの。我ながら呆れるが仕事も捗ったのでまあ良しとしよう。

そもそもがそういう不純な?動機なので、M-1自体を毎年心待ちにしているというわけでもなく、こんな文章を書き連ねているにもかかわらず、今大会の決勝を見ていない(というか決勝当日同時刻の今まさにこの文章を書いている最中)。

一応、2回戦で気になった漫才師を列挙しておくと、

マイスウィートメモリーズ、Dr.ハインリッヒ、天地コンソメトルネード、ぎょうぶ、キッド、つみ木、ZUMA、ペトラフォルト、吉田たち、デルマバンゲ、オフ、おおぞらモード、カーボーイジュニア、ホタテーズ、くらげ、忘れる。、ぽんぽこ、アンコウズ、パブロ学園、素敵じゃないか、銀兵衛、ブリキカラス、シンクロニシティ、真空ジェシカ、カナメストーン、ボーイフレンド、象桜、GAG、ネコニスズ、リニア、ダイアモンド、シマッシュレコード、なんでです?、怪奇!YesどんぐりRPG、カラタチ、燻製、おとぎばなし、ぼる塾、侍スライス、オズワルド、アイジェル、トッキブツ、たぬきごはん

枚挙にいとまがないのに、決勝に残ったのがオズワルドただ1組という点でも、いかに自分がお笑い弱者かお分かりいただけるかと思う。

それら多くの漫才を聞いていると、漫才中に映画についての話題がしばしば登場する事に気づく。

今年の話題作(今大会だと『鬼滅の刃』)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『タイタニック』『ALWAYS 三丁目の夕日』と認知度の高いオール・タイムベストの作品が、半ば桃太郎などの定番のお伽噺のように扱われたりする中、全漫才中数回登場するふたつの作品が妙に気になった。

そのふたつとは『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』と『桐島、部活やめるってよ』である。

『ベンジャミン・バトン〜』が2008年、『桐島〜』が2012年と、いずれも当時の話題作であるものの、公開からそこそこ時間が経過しているこの2作品が、複数回扱われているのは何故なのか。

『ベンジャミン・バトン〜』は、老人の姿で誕生し、成長とともに若返る人の話だが、考えてみれば、デヴィッド・フィンチャーというより、クリストファー・ノーランが撮っていてもおかしくない題材だ(ちなみに今年の話題作『テネット』について触れている漫才師は、1組もいなかった)。

実際に漫才で扱われてた内容はこんな風、

1.
A「だ〜れがババアや、若返ったろかい」
B「ベンジャミンバトンかっ!」
(チャーミング炒飯)

2.
A「今から、カラオケ行って〜居酒屋行って〜ハチ公前に集まろう」
B「ベンジャミンバトン合コンか? 合コンのプラン逆再生するとか、数奇なコンパすなよおい」
(ぶたマンモス)

“ベンジャミンバトン”という言葉の響き自体が小気味良いといってしまえばそれまでだが、やはりこの映画特有のプロットが極めて漫才的なのだと思う。

しかしこの映画、個人的には物語のプロットの“奇妙さ”を大きく超える事なく、いわゆる出オチ感が否めない。

主演のブラッド・ピットとケイト・ブランシェットは元より、ティルダ・スウィントンや『ムーンライト』のマハーシャラルハズバズ・アリ、若きエル・ファニングなどたしかな脇役陣を持ってしても、たぶんその当時でさえセンシティブな問題をはらんでいるせいか、どこか及び腰で、物語の表層をなぞらえるだけで終始してしまっているように思える。

さらに今観ると、徐々に若返るブラッド・ピットと歳を取るケイト・ブランシェットという対比というよりは、若さの演出=CGと老いの演出=特殊メイクという、当時のCG技術の拙さも相まって、アナログ対デジタル技術の対立ばかりが際立ってしまい、いまひとつ映画に感情移入ができない。あと数十年隔てたら、ノーランというよりリンチ的な奇怪さでカルト的作品になるかもしれない。

一方の『桐島〜』は漫才のネタ中、ボケとツッコミの中で機能するというより、会話の中でそれとなく言及されるのみだが(引用したいのは山々なのだが、決勝放送と共にたった今2回戦の動画が終了してしまい再確認が出来ず)その名が出ただけで思わず聞き入ってしまった。

やはりベンジャミンバトン同様に、漫才の台詞として連呼したくなるようなそのネーミングセンスによるところはあるだろう。

もう一つ大きな理由として、“漫才コント”という形式について考えたい。

漫才コントというのは、漫才の中で語られるコントの事を指すが、最初から物語が設定されているコント師によるコントと違い、漫才コントは、そのコントの物語性を俯瞰視する視点が常に用意されている。

その視点はそのまま『桐島〜』の映画の中で映画を撮る人たちが描かれ、映画自体に言及するその物語構造に重ね合わせられる。

同じ物語構造を持つ話題作として、たぶん公開年頃には、数多くの漫才で飛び交ったであろう『カメラを止めるな』は、今も題材として扱われていてもおかしくないのに、今回聞く限りでは見受けられなかった。たぶん『カメラを止めるな』自体に笑いの要素がふんだん盛り込まれているため、漫才として案外取り込みにくいのかもしれない。

それとは別に、もしかしたら『桐島〜』には、作品が持つエモーショナルな部分が、漫才の持つ熱に呼応する部分があるのかもしれない。

「ステルツァー(大佐)!」「ハクソーリッジかっ!」「伝わらないですよね、どうもありがとうございます」とメル・ギブソン監督の知る人ぞ知る戦争映画で締め、静まり返る観客を前に何食わぬ顔で佇む”宿命”という名のコンビの勇姿は、『桐島部活やめるってよ』における映画部の面々と重なって結構アツかった。

ちなみに今回のM-1グランプリ2020で個人的に一番面白かったのはGAGさんです。

PROFILE

大島依提亜(おおしま・いであ)
グラフィックデザイナー・アートディレクター

栃木県出身、東京造形大学卒業。映画まわりのグラフィックを中心に、展覧会広報物や書籍などのデザインを生業としている。主な仕事に、映画は『パターソン』『ミッドサマー』『旅のおわり、世界のはじまり』、展覧会は「谷川俊太郎展」「ムーミン展」、書籍は「鳥たち/吉本ばなな」「小箱/小川洋子」がある。

INFORMATION

今月の2本

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット他

『桐島、部活やめるってよ』(2012)
監督:吉田大八
出演:神木隆之介、橋本愛、東出昌大、清水くるみ他

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