FEATURE

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9人のひと夏を読む。
Summer Never Ends

9人のひと夏を読む。

書を捨てよ、町へ出よう。とはよく言ったものですが、真夏くらいは家や近所の喫茶店なんかで、本を読んで過ごしたいところ。紙に触れ、ページをめくり、活字を追う。知らないことを知るということは、とても豊かなことのはずです。あのひとは今年の夏、どんな本を読み、どんなことを感じ、どんなことを考えたのか。8月も終わりますが、本を通してもう少し夏を感じてみませんか?

1_大橋高歩(theApartment)
2_岡田茂(en one tokyo)
3_小林孝行(flotsam books)
4_鈴木親(写真家)
5_スズキナオ(文筆業 / ライター)
6_園田努(maya ongaku)
7_田野隆太郎(映像ディレクター)
8_林香寿美(THE LAST GALLERY)
9_森岡督行(森岡書店)

1_Selecy by 大橋高歩(theApartment)

PROFILE

10代から今にいたるまで、多大な影響を受け続けるニューヨークが生むカルチャー+αを吉祥寺の「ジ アパートメント(theApartment)」から発信し続けて17年。オリジナルブランド〈スタブリッジ(STABRIDGE)〉の一部は、ここ数年釣りに夢中なこともあり、自然の中でトライ&エラーを繰り返し生み出すアイテムもリリースしています。
Instagram:@theapartment_tokyo

-Book Selection- 『43歳頂点論』 – 角幡唯介

Shinchosha

46歳の夏に読む43歳頂点論。

2026年夏、登山家ニルマル・プルジャがブロードピーク登頂中に雪崩に巻き込まれて亡くなった。43歳だった。

ぼくが育った板橋区では小学生の頃に地元の英雄植村直己の偉業を学ぶ、最初に覚えた冒険家の名前だ。

彼がデナリで遭難し消息を絶ったのも43歳。

いつも単行本をバックパックに入れて何度も繰り返し読んできた名著『長い旅の途上』、その著者である星野道夫がカムチャツカで熊に襲われ亡くなったのも43歳。

谷口けいや長谷川恒男も43歳で遭難し命を落としている。

登山家の間では「43歳の壁」という言葉があるらしい。

さながらロックスターにおける27クラブのようなものだろう。

ニルマル・プルジャの訃報を知った時にふと話題になっていたこの本を思い出し本屋で手に取った。

読み終わって自分が43歳の時に何をしていたのか気になってiPhoneのカメラロールを見返してみる。

ジムに通っても一向に締まらなくなっただらしない腹をさすりながら43歳からの下り坂で急激に体力が落ちてきた事を実感しつつ、この本で語られるところの頂点としての43歳を挟む前後数年つまり登り坂の終わりと下り坂の始まりを回想してみた。

30代後半、プレッシャーを抱えながら休みなく昼も夜も働いて心身共にボロボロになっていた。

このまま続けてたら身体を壊すと思い妻に「40になったら仕事をセーブして少しのんびりしようと思う」と言ったら「のんびりするなんてあなたには無理だと思う、落ち着くのが早すぎるんじゃない?」と笑われた。

その言葉に目が覚めたぼくは40代は”冒険”をしようと心に決めてそれまでやってきていなかった色々にチャレンジした。

自分が今まで行ったことのない場所に行ってみたり、沢山の人と出会うことで自分のフィールドが拡大していく実感があった。

今までは自分の領域じゃないと断っていた仕事も興味があるものは受け自分の新しい可能性にも気付く機会をもらえた。

見知らぬ地平をエネルギーによって開拓し膨張してきた自分の人生をさらに拡大していく時期、会社も毎年成長し仕事の幅も広がった。

ところがちょうどこの時期にパンデミックが起きる、ぼく自身もコロナに感染し重症化して長期入院した。

重症者のみの病棟、日々容体が悪化し酸素マスクを付けそろそろ死を覚悟した時に病院のベッドで自分の人生を振り返ったのだが不思議と全く後悔は無かった。

家族に悲しい思いをさせるのは心苦しいが妻は自立した強い女性だし子どもたちに伝えなければいけない事は充分伝えて来た。

そして自分自身の人生には目標は無い、いやむしろとうの昔に吉祥寺で友達とあの場所を作った時に目標は実現されていて、その大切な場所を守る為に日々頑張っているのだと思った。

つまり今は叶った夢の中で生きている人生なんだと気付いたのだ。

気力も体力も有り余る中で何者にもなれず何かに追い立てられるような焦燥感の中もがき続けた20代、そんな20代で得た経験や知識を総動員し勝負してきた30代、そこから新たにチャレンジしはじめた40代、世界が一気に広がり仕事も大きく成長し始めた時にそもそも自分には仕事として目指していた頂上などなかった事に気づいて43歳を迎えた。

今回カメラロールを振り返って気がついたのだが自分は43歳になってから釣りを始めている。

釣りを始めてからの人生は世界に違うレイヤーが一枚加わった感覚でまさかこの年齢でこんなに沢山の気付きが得られるとは思っていなかった。

これがもし20代で釣りを始めていたら僕は釣りを通して自己実現をしようとしていただろう、ぼくは人生の下り坂で釣りと出会えた事を感謝している。

釣りはぼくにとって下り坂を下りながらも今までとは違う人生の深みを目指せる希望なのかもしれない。

本書の中で触れられている釣りの話や開高健の人生を読んで膝を打った。

今まで聴いていたファラオ・サンダースの曲は夜明け前の釣り場に向かう車中で聴くとより素晴らしく聴こえるし、今まで幾度となく足を運んだニューヨークの街中は釣竿を持って歩くことで深みを増した。

仕事では経験を重ね、ある程度の結果を出せるようになって信頼を勝ち取れたとしても大自然の中でぼくは小さく無力で翻弄されるばかりだ、月明かりに照らされながら手応えなくキャストを繰り返している時は魚たちに小馬鹿にされているようでなんだか心地良い。

危険の中で命の輝きを感じたり経済的な成功や拡大を目指したりしないこの先のぼくの人生はあるいは命の輪郭がぼやけていくような感覚になることもあるかもしれない、でも川の流れに流されながら輪郭がぼやけて自然との境目も曖昧になっていつか一体に溶けていくのも悪くない。

walking on eggshells

2_Selecy by 岡田茂(en one tokyo)

PROFILE

「不眠遊戯ライオン」「麺散」「TOKYO BURNSIDE」「the TUNNEL」など、原宿から世界へカルチャーを発信し続けるクリエイティブ・エージェンシー「en one tokyo」の飲食事業プロデューサー。今年のパリコレでは現地でラーメンのイベントを行ったりと、そのクリエイティブは多くの人たちへスペシャルを届けています。
Instagram:@_shigeru_

-Book Selection- 『新宿鮫』 – 大沢在昌

光文社

Dear 鮫島。

本の紹介をする前に何故この本をおすすめしたいのか?をお話しさせて頂きたい。ぼくは子供の頃から探偵や刑事ドラマ、サスペンス物が好きで良くテレビドラマを見たく学校から早く帰るような少年でした(笑笑)。

そんなぼくが今回紹介したい本は『新宿鮫シリーズ』です!!! この夏に読んでる1冊の紹介なのにシリーズ物を推してしまい…(笑)。

と、ゆーのもぼくは正直な所、余り本を読むタイプではないのです。ただ、この『新宿鮫』は一度読みはじめると面白い事なんの、あっとゆーまに読み終わり面白すぎて、直ぐにネットで全巻購入してました。

今年の夏は、また全巻読み返そうと思ってます。

3_Selecy by 小林孝行(flotsam books)

PROFILE

オンラインショップとしてスタートし、2020年1月に京王線の代田橋駅に店舗をオープン。世界中のアート関連の本や有名無名問わず数多くのZINEを取り扱い、一年に一度、全国数箇所の書店を巡る『flotsam zine tour』を開催。フイナムブロガーとして不定期でブログも更新中。間口は広く懐は深い、インディペンデントな書店として信頼されています。
Instagram:@flotsambooks

-Book Selection- 『ハマータウンの野郎ども』 – ポール・ウィリス 著 / 熊沢誠 訳 / 山田潤 訳

筑摩書房

これから読書。

ずっと読んでみようと思ってた本があったんですよ。
たぶん、20代の頃。
古本屋でアルバイトしてた時に見かけた本。
『ハマータウンの野郎ども』。
タイトルが良いじゃないですか。
なんか。
若くて、鬱屈としてて、何者でもなくて。
何が出来るのか。
何がやりたいかもわかんない頃にさ。
モノクロの。森山大道の写真のような荒々しい表紙も魅力的で。
なんかわかんないけど。
面白いことが書いてありそうで。
なんかヤバい奴らのことが書いてありそうで。
って思ってたのに。
忘れてたんですね。
ずっと。
In.
話は変わって。
ぼく。
散歩が趣味なんですよ。
最近の趣味。
散歩とラジオ体操。
マジで。
老人。
もう趣味が老人。
まあ、それは良いとして。
なんでこんなこと書き始めたかっていうと。
『ハマータウンの野郎』どもと。
再会したんですよ。
散歩中の。
ヘッドフォンから聞こえてくる声の中で。
散歩中に。
NHKの。
『100分de名著』っていう番組を。
散歩しながら。
名著の解説をずっと聞いてるんですね。
本当は映像もあるんだけど。
丁寧に解説してくれるから。
音声だけ聞いててもぜんぜん理解できるんですよ。
In.
その中で。
ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』って本の回がありまして。
それがまたすこぶる面白い。
そこで。
ゲスト講師が。
ぼくが今一番面白いと思ってる社会学者の岸政彦さんで。
正直、この岸先生の話で。
アートの見方が変わったよね。
少し。
じゃあもう。
『ディスタンクシオン』をここで紹介するべきじゃないの?
って思ったりしますが。
難しそうで読める気がしない。
In.
その番組内で紹介してたのがこの。
『ハマータウンの野郎ども』。
原題は。
Learning to Labourで。
直訳すると労働者になる学習みたいな意味で。
どういう本かって言うと。
労働者階級の子どもたちに密着取材して、彼らがなぜ親たちと同じ労働者になっていくのかっていうのを解き明かした社会学のフィールドワーク。
エスノグラフィーっていうのかな?
そういうやつなんですよ。
I see.
なんとなく『トレインスポッティング』みたいな。
若者たちのどうしようもなさ。
みたいな話なのかと思わないでもなかったけど。
ちょっと違うような気もしたり。
なんていうか。
タイトルとか聞いただけで。
ぼくらは何かを連想したり想像しちゃうじゃないですか。
それだけで。
読書しようって意味がある気がするんですよね。
読書じゃなくても。
音楽鑑賞でも。
映画鑑賞でも。
芸術鑑賞でも。
なんでもいいんだけどさ。
実際。
買って。
いつでも読める状態にあるってだけで。
もう読んだようなもんだと思うし。
読んでないとしても。
想像するだけで半分読んだようなもんだろ。
とか思ったりしてる。
ぼくの読書は。
ページを開いた時じゃなくて。
その本の存在を知った瞬間に始まって。
買うまでに諸々あって。
買ってからすぐ読む場合もあるし。
後回しにする場合もあるし。
なんだかんだ読む前に色々想像して。
ちょっと読んでみて。
その世界に入り込んで。
嫌ならやめればいいし。
やめたとしても。
まだ途中なだけで。
10年後、20年後に。
続きを読み始めてもいいし。
途中のままで古本屋に売ってもいいし。
読みたくなったら買い直せばいいし。
とか。
なんだかんだ書いてみたけど。
ぼくが読書で一番好きなのは。
ふと本から目を離した瞬間に。
自分がどこにいるのか一瞬わからなくなるあの感じ。
どこにも行ってないのに。
どっかから帰ってきたようなあの感じ。
とりあえず。
ちょっとずつまだ読んでます。

4_Selecy by 鈴木親(写真家)

PROFILE

1996年に渡仏し、仏インディペンデント・ファッション誌『PURPLE』で写真家としてキャリアをスタート。『i-D』『Le Monde』をはじめ、『GQ JAPAN』『VOGUE JAPAN』など国内外の雑誌で撮影を担当するほか、〈JOHN LOBB〉〈CHANELシ〉「DOVER STREET MARKET」などのコマーシャルビジュアルも手掛ける写真家です。
Instagram:@chikashisuzuki1972

-Book Selection- 『なぜ世界は存在しないのか』 – マルクス・ガブリエル 著 / 清水一浩 訳

講談社選書

「マルクス・ガブリエルと京都」。

ホーキング博士の「現代において哲学は死んでしまったのではないか、哲学は現代の科学の進歩についていくことができなくなっています」という言葉のように、ここ何年も量子力学を哲学の代わりに思考のどこかに用いるようになっていて、心も唯物論的に電子や粒子みたいなものとしてとらえがちでした。

特に写真については個人的にですが、量子力学の「観測するまで結果が分からない」という考えと相性が良いと思っています。偶然が入り込む瞬間を切り取る機械としてのカメラは我々の眼に見える日常だけでなく、2019年には量子もつれの瞬間を記録したということもあったそうで、その点ではこの考えが自分の写真への哲学として機能しています。

また、現代の都市生活においては哲学ではなく科学で人生を解釈すると生きやすかったかたのでそういう思考で生きてきましたが、コロナ禍から奈良、京都に行くことが多くなり人生観が少しづつ変わっているタイミングで、今年の4月に京大の仕事で来日したマルクスさんに西陣織の細尾さん経由で会うことができたのが、久しく読んでいなかった哲学本、この本を読むきっかけになりました。

実際、世界が存在しないというこの本の主題自体は上手く理解出来なかったのですが、マルクスさんがホーキング博士のあの言葉を否定して、物理法則だけでは「生きる意味」や「意識・精神の自由」を説明できないため、現代においても哲学が不可欠であるという見解は、実際に京都に行く度にぼんやりと感じていたことでもあります。

この本を読んだことでそのぼんやりした感覚を具体的に掴むことができ、彼の面白いと思う京都や日本の捉え方を学べたことは、90年代に雑誌『DUNE』の林さんのおかげで『ロストイントランスレーーション』前夜のソフィア・コッポラの東京感を彼女本人から得られたことと近しく。彼女から教わったことは20代から最近までの撮影の武器になり、50代になった今、マルクスさんの言葉でそれをブラッシュアップ出来ました。

これからも「書を捨てよ、町に出よう。」そして新たな書をまた得てを続けていけるようにしたいと思います。

5_Selecy by スズキナオ(文筆業 / ライター)

PROFILE

東京出身で現在は大阪在住。文字を書くことを生業にし、ライターのパリッコとの飲酒ユニットの酒の穴、テクノラップバンドのチミドロとしても活動。『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』などの著書も多数出版し、日常のスキマを覗くような視点と文章で読み手を刺激します。
Instagram:@chimidoro

-Book Selection- 『溺れながら生きる』 – 信田さよ子

Bungeishunju

何かに依存して生き延びること。

「依存症」という言葉には、それに悩むひとたちを蔑むニュアンスがあるような気がする。もっと乱暴な言葉に「〇〇中毒」というものもあるが、ちょっとそれに近いような。たとえば「お前、〇〇中毒かよ!」とか「お前、それもう、依存症じゃん」などと相手に向かって言うことが威力の強いツッコミになるような場面は、容易に想像することができる。

私を含む多くのひとはたぶん依存症と呼ばれる状態を恐れていて、そう呼ばれるひとたちを特殊だと考え、「自分はそうではない、まともだ」と確認しながら生きているのではないだろうか。

臨床心理士としてさまざまな依存症に悩むひとたちの話を聞いてきた信田さよ子さんが、いくつかのケースを取り上げながら依存症というものの構造やその背景にあるものについて考察していくのが本書である。第一章で、信田さんは依存症のことをこうまとめている。

“依存症とは、つまるところ、生きるための行為がいつのまにか自らの生を危うくすることだ。生きるための手段だったものが、いつのまにかそれが目的になってしまうことで、生きることが危うくなる。これは最大のパラドックス(逆説)ではないだろうか”。

生きるために必要だったものが、自分の生を危険にさらしてしまう。たとえば私はお酒が好きで、お酒に関連するライター仕事をすることもよくあるのだが、楽しみながらお酒と付き合っていられる範囲を超えて、体に害を及ぼすとわかっていながらも飲み続けてしまうのであれば、それはもはや依存症だということだ。そういう意味では、私はかなりギリギリのところにいると思う。

お酒以外でも、たとえば、好きなアイドルや俳優、お笑い芸人を推すことが楽しくて自分を元気づけてくれるとして、それ自体はいいことだと思うが、そのことに使うお金や時間や体力が自分の生活を危うくしてしまうレベルに達したら、それは依存症に近いのだろう。

というように、本書を読みながら考えていくと、依存症というものが、自分と縁遠い、特殊なものなどでは全然なく、すごく身近なものに感じられてくる。また、本書のタイトル『溺れながら生きる』にも集約されている通り、信田さんは依存症を決してネガティブなものとして断罪するような書き方をせず、生きるためにそれを必要とするひとがいるのだという事実に寄り添う姿勢を貫いている。

日本では依存症、依存症者への眼差しが極端に冷酷であると信田さんは書いている。自分の中にも依存的な欲求があって、その欲求が過剰にならぬように我慢しているからこそ、欲求に溺れてしまう他人に対して近親憎悪のような厳しい思いを持ってしまうのだと分析している。第4章にこんな部分がある。

“日本では、ひとのせいにすること、頼ること(依存)が厳しく批判される。表向き「自立」を主張しているかに見えて、じつは「依存」欲求を我慢して(させられて)いることへの恨みや怒りが込められている。依存症者の姿によって、自分たちの中にある依存欲求が突き付けられるのだ。(中略)このように、依存症は私たちと隣り合わせのありふれた病気であるがゆえに、依存症者の姿をとおして、私たちの生き方が照らし出されてしまう。アディクションから回復を目指すひとたちを受け入れることは、自分自身の依存を見つめ受け入れることにつながると思う”。

本書を読んでいると、自分の中にある依存と向き合い、依存に悩むひとに寛容であろうと思える。私たちは多かれ少なかれ、何かに寄りかからなければ生きていけないのだ。

6_Selecy by 園田努(maya ongaku)

PROFILE

maya ongakuのボーカル&ギター。音楽を楽しみながら、田植えをしたり、農木具小屋を立てに岐阜へ行ったり、大磯町の祭りに参加したり。2025年にアメリカツアーを行い、2026年9月にはEU & UKツアー、10月からは日本全国11箇所をまわる『”Nothing Space Music” Japan Tour 2026』を控えています。
Instagram:@sonodatsutomu

-Book Selection- 『チベットのモーツァルト』 – 中沢新一

講談社学術文庫

読む音楽のすすめ。

 はっきり申し上げて、夏に読書は無理なのだ。

 ぼくが住む断熱性能のない古民家は、発情しきった太陽にうなされ、じっとりと気絶している。冷房装置をつけて少しは涼しくなったとて、冷房をつけると必ず起こる謎の脱力感で肩が凝り、湿気を吸い込んで重くなった本を開く気にもなれない。逃げ込むようにカフェに行けば、一体どんな客が来るのを想定してるのか、あまりに冷房の効き過ぎた真冬のような空間と、冷たい飲み物で胃腸は急激に冷やされ、さらに体調を崩して帰路につく。まずは生きよう。読書などという豊かな行為は、生存のそのあとだ。

 とは言ったものの、何かを読まないわけにはいかないのが、孤独な読書好きの、どうしようもない性なのである。そんなぼくにとっての、天敵にほかならない大迷惑な季節を凌ぐための、珠玉の一冊を紹介させていただこう。

 『チベットのモーツァルト』は、宗教学者・中沢新一による初の単著であり、発売から四十年以上たったいまでも読み継がれる、彼の代表作である。文庫版の解説を担当した吉本隆明が「精神の考古学」と呼ぶ、中沢新一独自の学問の萌芽、いや、処女作にしてすでにその骨子が、この一冊には鮮やかに刻まれている。ぼくが事あるごとに何度も読み返している、人生において重要な一冊である。

 ネパールやインドで、チベット密教の導師に師事し、実践的研究を行った著者が、その経験で得た新しい知。それは言語構造を解体し、意味を無限化した先に現れる、流体的な知であった。中沢新一はその流体的な知を、さまざまな主題に見出していく。メキシコのシャーマンに、病に、資本主義に、そして丸石に。固定化された事物は解け、また再び結び合わされ、まったく新しい姿が立ち現れる。

 みなさんお気付きだと思うが、これはいわゆる”難しい本”である。そもそも暑くて億劫なのに、なおさらではないか。と言いたい気持ちもわかるが、手に取って開いてみたときに、この本がただの”難しい本”ではないことがわかる。

 ぼくがこの本を読んだ時、次々と当たり前のように現れる謎のカタカナや固有名詞にたじろいだ。これまでの経験からすると、途中で挫折し、部屋の端っこに積み上がるのかな、と思いきや、読める。なぜだか滞りなく、じわじわと読めるのだ。その理由は中沢新一がこの本にかけた、ある魔術にあった。

 『チベットのモーツァルト』は、一般的に学術書に分類されるのだが、学術書としてはあまりにも特殊な書物である。ここでは、本来混ざり合うことのない、学術的な記述と創造的な記述が、分け隔てられることなく描かれている。その境界を意図して曖昧に描くことで、意味にゆらめきが生じ、そのゆらめきの不定形なリズムが、異なる時空を通して、流動的な知へのアクセスを許す。そう、まるで音楽のように。

 これが中沢新一がこの本にかけた魔術である。彼は意味をどれだけ重ねても、その流動的な知へは辿り着けないことを知っていたのかもしれない。よって、レトリックを用いた魔術で、書物というパラドキシカルな次元からそれを可能にしたのである。

 この本はいわば「読む音楽」だ。だから、難しい哲学用語を知らなかろうが、暑さで意識が朦朧としていようが、音楽だから、それを読めるのだ。

 夏のせいで読書習慣が滞ってしまった人は、ぜひこの本を開いてみてほしい。わきたちうねるような律動が、意識の深部を打つ、そんな音が聴こえてくるに違いない。

 2026.8.26 Tsutomu Sonoda

7_Selecy by 田野隆太郎(映像ディレクター)

PROFILE

テレビや企業広告などの演出を手がけながら、2011年にドキュメンタリー映画『子どもたちの夏 チェルノブイリ福島』を発表。ひとり出版社の夏葉社の島田潤一郎さんの姿を映したドキュメンタリー映画『ジュンについて』のプロデュース・撮影・編集・監督をすべてひとりで担当し、2025年8月から高知の「あたご劇場」を皮切りに全国を巡回中。
Instagram:@aboutjunmovie

-Book Selection- 『下町酒場巡礼』 – 大川渉 平岡海人 宮前栄

筑摩書房

30代で出会った本。

いったいどれほどの客がここに座り、酒を飲んできたのか。丸椅子の座面もコの字のカウンターも、その縁がゆるくカーブを描く。フィルムで撮られたモノクロの店内。そこに、大きく明朝体のタイトル。本の背には「人が酔うのは、酒ばかりではない。」の惹句。 本棚の目につくところに置き、引っ張りだしたり、納めたりを繰り返してきた。1998年初版。1500円。285ページ。東京の東にある、知られざる酒場の記録。四谷ラウンド。もう存在しない版元。後年、ちくまで文庫になった。

“まずは煮込みとビールを頼んだ。白い上っ張りを着た主人が黙ってうなずき、カウンター内に据えた大鍋から一人分を小鍋に移して温め始めた。上着のポケットから取り出した栓抜きでビールの栓を目の前でぽんと抜き、カウンターにそっと置く。この間、主人は終始無言である。別に突っけんどんなわけではない。淡々と、しかし着実に仕事をこなしているという風情だ。

酒、ホッピーを飲んでほろ酔い加減になったころ、主人が、「おたくは刑事さん?」と突然聞いてきた。「そう見えますか」「違うの」「ええ」

それ以上、突っ込んではこない。すっと前を離れ、別の客の注文を聞きに行った。カウンターには常連客もいる。主人はしばし彼らと談笑する。もちろん僕らより親密に応対し冗談も飛び出すが、決して馴れ合わない。これは実は大事なことだと思っている。常連客と主人がべったりくっつき小さなサークルをつくって一見(いちげん)客を懐に入れない居酒屋は、いくら酒や肴が良くてもいただけない。店の者と客には、ある種の緊張感が必要なのではないだろうか。”

もの書き三人の共著。例外はあるが、雑誌の連載をまとめたものではない。三人がそれぞれ、普段使いできそうな店を訪れ、飲む。それが最優先。開店、閉店時間の表記はない。地図もない。だからガイドブックと呼べるほどの実用性がない。そこがいい。

最初に読んだのは、30代に入ったくらいだったか。20代に読んでいた本は、やはり純文学。好きになった作家が、ある作家に影響されたと知れば、古本屋でその名を探した。音楽でも美術でも映画でも、同じだった。志した映画では、気になる監督の特集上映を入り口に、ミニシアターに潜り込んだ。一本観ては驚き、自分を背伸びさせるように、さらにもう一本と続けた。エンドロールでせりあがる監督のクレジットに、自分の名が刻まれていたら、となんども思った。ならば命題は、自分にしか書けない脚本を書くこと。仰ぎ見た映画に比するオリジナリティーを、自分自身に強烈に求めた。あの頃をどう説明したらいいのだろう。自分の中に、傑作と呼ばれるような揺るぎない物語(フィクション)を打ち立てたいと思っていた、といったらいいのか。躍起になってこしらえたが、結局は観てきた監督たちの真似の域を超えていなかった。そんな時、偶然この本を見つけた。

地域のひとが通う、ふつうは記録されることのない店。三人は店の来歴を尋ねるわけではでなく、席から見えた店主や常連たち、酒や肴の描写に徹する。だから、その場の空気が生き生きと伝わってくる。店の風景に仮託して、自分のことを語るような野暮なことはしない。ガイドブックの形をとった人間讃歌。ノンフィクションの面白さに、やっと気づいた。もっと早く気づいていたら、と悔やんだ。手の届かないところばかり手を伸ばして、掴みたいと思っていたものは、実はすぐ近くにあったのだ。この本を引っ張りだすたびに、そう思う。

それまで価値が定まっていなかった対象に、光を当てること。いまは、それが尊い仕事だとわかる。そして、それが自分に見合った表現なのだ、ということも。

8_Select by 林香寿美(THE LAST GALLERY)

PROFILE

2016年に『i-D Japan』を立ち上げ、エディトリアル・ディレクターとして媒体を統括。『VOGUE JAPAN』のヘッド・オブ・エディトリアル・コンテントを経て、現在はクリエイティブディレクターとして活動。世界中のクリエイターの表現の場でもある「THE LAST GALLERY」のオーナーも務めています。
Instagram:@kazumi_asamura_hayashi

-Book Selection- 『ダイアローグ』 – ヴァージル・アブロー 著 / 平岩壮悟 訳

アダチプレス

いま、あえてヴァージル・アブローを読む。

作り手が自らの仕事について語る言葉には、完成した作品にはない体温と勢いがある。短いエッセイやインタビューの形で制作の舞台裏にそっと触れられる、そういう本を私は好んで読む。いま手にしているのは、ヴァージル・アブローの『ダイアローグ』。発刊は2022年。少し前の本だが、いまファッションが大きな転換期を迎えているからこそ、その前に起こったことを、改めて読んでみたくなった。業界にいると、節目に現れるスターの新たなクリエーションに胸が踊ることがある。いま大手のメゾンでは、デザイナーたちが、ブランドの歴史を紐解き、新しいコードを紡ぎ出している。しかし「ハウスを継ぐ」ということを、彼ほど強烈にやってのけたデザイナーは近年にはいない。

ご存知の通り、黒人である彼がファッションの世界へと歩んだ道のりも、ルイ・ヴィトンに入ってから実現しようとしたアプローチも、それまでのファッション業界の誰とも異なる、極めて独特なものだった。この本では、2016年から2021年までの様々な作り手と聞き手との、厳選された九つの対話が収められている。

その中で彼は「ストリートウェア的な摩天楼があるとしたら?」という問いに対し、こう答えている。「ストリートウェアの摩天楼は、水平構造になる。横に広がり、コミュニティとして発展してゆく」。この言葉には、彼が考える現代ファッションの真髄が凝縮されていると私は思う。従来のファッションシステムとは異なる発想によって、閉ざされがちだった業界に新たな方法論と価値観を持ち込んだ。ブランド全体をひとつの文化として設計するということをわかりやすく体現してくれた人物だった。

ヴァージルから助言を受け、その言葉に背中を押されて実際に事業を始めた二人を思い出した。一人は、長年働いていたブランドを辞め、自身のファッションブランドを立ち上げた。もう一人は、様々な可能性を試すべきだと助言されたのをきっかけに、本業とは別に飲料ブランドを立ち上げた。二人ともコミュニティとともに、ビジネスとしても成功している。彼らの話す様子からは、ヴァージルと話したことが、いかに彼らにとって啓示的なモーメントであったかがうかがわれた。かなり前に聞いた話なので、細部は曖昧で、あくまでも私の記憶に残る印象にすぎないが、一人の言葉が誰かに何かを始めさせるほどの原動力になり得ることに、驚いたのを覚えている。思えばこれもまた、彼の言う水平構造だったのかもしれない。言葉が人から人へ移り、それぞれの場所で新しい輪を広げていく。

彼が2021年に世を去ってから、ファッションの風景は様変わりした。彼のやり方そのものは、誰にも真似できない。出自も、建築の思考も、エンターテイメントの世界との繋がりも、すべてがオリジナルだからだ。カルチャーをベースとしたファッションの一つのこの現象は、どのように起きたのか?その問いに興味のある人に、この一冊を薦めたい。彼の尽きないアイディアが対話の形で溢れ出している。読み終えたとき、ファッションショーもロゴも、街の人の着こなしも、少し違って見えてくるかもしれない。それは分野を問わず、何かを生み出す人の刺激になるはずだ。

9_Select by 森岡督行(森岡書店)

PROFILE

“一冊の本を売る本屋”をコンセプトに、銀座で「森岡書店」をスタート。自身も『ショートケーキを許す』『銀座で一番小さな書店』などの出版。2026年に生まれ故郷である山形県の寒河江市の商業施設「フローラ・SAGAE」内に、およそ100点もの品物をラインナップした「寒河江百貨店」のプロデュースを手がけたことでも大きな話題に。
Instagram:@moriokashoten

-Book Selection- 『Threads of Beauty 1995–2025 ―時をまとい、風をまとう。』 – 高木由利子

青幻舎 ¥12,100

写真集を読む。

この夏、私自身が読んでいる本はいくつかあるのですけれども、今回ここで取り上げたいと思うのは、高木由利子さんの写真集である『Threads of Beauty 1995–2025 ―時をまとい、風をまとう。』です。もちろんこの本は写真集なので、高木さんが撮影した写真がページを捲るごとに展開されています。 時折その写真に対する高木さんのコメントが文字として印字されているから、読むということも可能です。

ただ、今回この本を挙げてみたのは、写真それ自体を読むという行為もやはり可能だと思っているからです。

もしかしたらこじつけのように聞こえてしまうかもしれませんが、写真を自由に読んでみるという身体体験も、ひとつのアートに親しむ手段として、あって良いと思っています。この写真集は、高木由利子さんが1995年から2025年まで、30年もの長きに渡り、世界の13カ国を訪ね、そこで目にした民族衣装や、普段着を着ているひとたちを撮影したシリーズです。

例えば、イランや中国、ボリビア、インドなど。高木さんのこのシリーズの特徴のひとつは、モノクロで撮影されているということです。カラーではなくモノクロ。

通常、もしこのような民族衣装を撮影するのであれば、カラーを用いた方がその布の質感や織りの細部、あるいは、補修した縫い目、これらをより表現できるでしょう。アクセサリーとしての金属や、皮膚に刻まれたタトゥー、あるいは、皺や髪の毛の色。ここからもこちらに伝わってくる情報が、カラーの方が豊富のように思えます。しかし、高木由利子さんは、あえてモノクロを表現の手段として選択されています。そこにある意図は、カラーよりモノクロの方が、こちらの想像力をより喚起させるという点にあると考えられます。

例えば、表紙になった女性の写真はどうでしょうか。着ている衣服の色は、茶色かもしれませんし、黄土色なのかもしれません。あるいは、赤ちゃんを抱いているから一見母親のように見えますが、顔や首の皺を見ると、もしかしたら母親ではなく、祖母であることも読み取れたりします。つまり、モノクロの写真の方が、こちら側の解釈する幅が広く、すなわちイメージと私たち自身が対話するような、ひいては作品と一体化するような体験ができるのではないでしょうか。もしかしたら、このことを写真を読むと言っても良いのかもしれません。

この写真のもうひとつの特徴は、被写体になる人々の仕草が自然だということにあります。考えてみれば、もし私たちが誰かからカメラやスマホを向けられた時、何か少し身構えたり、ポーズをとってみたり、もしかしたら笑ってみたりするのではないでしょうか。高木由利子さんの撮った写真に写る人々は、その気配がほとんど感じられません。このことが、高木由利子さんの写真の前後にある人の動作というものを、私たちにある種の映像のように働きかけます。

高木さんがこれらの写真を通して述べたいことは、服飾に於いてかっこいいとは何かという、とてもシンプルなことだと思います。

ここに写っているような民族衣装や普段着はもちろん、流行に左右されるようなものではないですし、ひとつひとつ長い間大切に着続けるものでしょう。汚れれば丁寧に洗い、ほつれたらしっかり補修する。何代にも渡って受け継がれてきたデザイン、織り。これらの背後には、他者であったり、自らの文化を愛する気持ちがあるということです。そう考えるとこの本から私たちが読み取れることは、もしかしたら私たち自身の気持ちの鏡なのかもしれません。

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