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預言者・西本克利の正体。
“NISHIMOTO IS THE MOUTH” IS HERE

預言者・西本克利の正体。

全身タトゥーの預言者、西本克利。自身の名を冠とした架空のカルトクラブ「NISHIMOTO IS THE MOUTH」を主宰。「赤ん坊は神であり、西本はその声を聞ける唯一の存在。西本は口である」という触れ込みのもと、ジワりジワりとその信者を増やしています。彼は一体何者なのか? その正体を探るべく、本人のオフィスを訪ね、インタビューを敢行しました。

西本克利 / NISHIMOTO IS THE MOUTH

1979年生まれ、埼玉県出身。2020年に某ドメスティックブランドを退社。その後、カルトクラブ「NISHIMOTO IS THE MOUTH」を立ち上げ、主にグッズを製作し販売している。

高校くらいまでは切手を結構集めていた。

ー 今日は西本さんの生まれから現在に至るまでの話と、「NISHIMOTO IS THE MOUTH」についてお話を聞きたいと思っています。

西本:生まれも育ちも埼玉ですね。14歳ではじめてタトゥーを入れて、その辺りからちょっとズレだして。ちょっとここでは話せないようなことをしていました。高校も在籍してたんですけど、あまり学校には行ってなかったですね。

ー 埼玉のどの辺りなんですか?

西本:西川口です。悪い人たちがいっぱいいて、結構荒れてたんですよ。

ー 小学生のときは何をして遊んでたんですか?

西本:切手集めに超ハマってました(笑)。手袋をして、指紋をつけないようにピンセットでキレイに剥がしてました。それを友達と交換したり。収集癖があるんですけど、間違いなくその頃からありますね。ビックリマンシールとか、ゾイドも集めてました。おもちゃを超買ってました。

もう他界してしまったんですけど、うちの母親がめちゃくちゃホラー映画が好きで、無理やり見せられたりもしました。スプラッター系ですね。その影響も受けています。

ー むかし、西本さんのインスタグラムでグロい画像が上がっているのを見たことがあります。

西本:むかしは鍵をかけていて、好き放題やってたんですけど、いまって批判もめちゃくちゃ多いじゃないですか。それがめんどくさいから上げてないんですけど、いまでもああいうことやりたいって思ってますね。

ー 高校を卒業してからは何をしていたんですか?

西本:服飾の専門学校にいきました。だけど、TSUTAYAに行きまくって映画ばかり見ていました。課題とかは当時付き合っていた彼女にやってもらって。2年生に進級はできたんですが、途中で辞めましたね。

それからはバイトをずっとしてて。セレクトショップで働いてたんですけど、その頃〈シュプリーム〉が好きで全身着て店頭にたっていました。でも、店長に目をつけられて辞めて。その後もアパレルの仕事をしていたんですが、自分の素行が悪すぎてクビになっちゃって…(苦笑)。

ー ファッションは好きだったんですか?

西本:好きでしたよ。でも実際に働いてみると、理想と現実のギャップがあって。音楽はいまでもずっと好きです。STRUGGLE FOR PRIDEとか、アブラハムクロスとか、エレクトロヒューマンゲルとか、そこらへんのハードコアが大好きで。あとはDJ NOBUさんやCMTさんといったDJも好きで、ひたすら現場に行って遊んでて。いま高円寺にある「LOS APSON?」の影響も大きいですね。山辺圭司さんにいろいろ音楽を紹介していただいて、中原昌也さんのMIX CD買ったりとか。

ー 日本の最深部の音楽ですね。

西本:そうですね。RAW LIFEとか、カオスパークとか、大阪のFLOWER OF LIFEとか、ああいう混沌としたイベントによく行ってました。変な人がいっぱいいたんですよ。当時は出会ってないんですけど、いま一緒にブランドをサポートをしていただいている中村穣二さんもそうしたイベントにいたみたいで。あの頃の音楽シーンはすごくおもしろかったと思います。

あと、「エレクトロバイオレンス」っていうレコード屋さんがあって、西島さんもすごく影響を受けています。自分はとくにブレイクコアとかスピードコアが好きで、そういうレコードばかり売ってるお店だったんですよ。西島さんはいま日本のどこかでカレー屋さんやってるんですけど。

ー 音楽が心の拠り所だったんですね。

西本:あと、女性(笑)。小学校の低学年で激しめのAVを見ちゃって、いま考えたらそこから目覚めてしまったのかなと思います。それでアンダーグラウンドな世界に興味を持ってしまって、メジャーなものがダサい、みたいな思考になってしまって。

だけど、高校くらいまでは引き続き切手も結構集めてましたね。実家の隣が郵便局で、記念のシートとか出ると全部取り置きしてくれてたんですよ。たぶんめちゃくちゃレアなやつとかもあるはずです。

彫り師にも顔面タトゥーを2、3回止められた。

ー 西本さんは〈VISVIM〉のスタッフとして働いていたことも有名ですよね。

西本:25歳のときに入社して。そこから真面目に働くようになりました。結構売上を取っていて、年間で2億円くらい売っていました。個人売りで。

ー 仕事は楽しかったですか?

西本:楽しくなかったですけど、いろんな人に出会えたのは前職のおかげだと思ってます。スケシンさんや、「ILLDOZER」の石黒景太さんといった人たちに仲良くしていただくことができました。一緒にパーティに行って遊んでいただいたりして。

ー 〈VISVIM〉で働いている頃から、タトゥーも増えていったんですか?

西本:14のときにはじめて入れて、それも「どれくらい痛いのかな?」っていう興味からなんですよ。ただ、どこで入れていいかわからなくて。原宿にあったお店に飛び込みではいって。それで入れてもらったら、このくらいの痛みなら耐えられるなと思って。

だけど、お金がなかったので増えていったのは〈VISVIM〉で働いている頃からですね。ヤスさんという彫り師さんと出会って、当時は仙台を拠点にしていて、予約も2、3年待ちという状態。でも東京に出張に来るということで、運良く入れてもらうことになって。結果的にいまは新宿のホテルをベースに15年くらいやっているんですけど、それでどんどん増えていきました。

ー もう入れるところないですよね?

西本:足の裏とチ◯コくらいですね。あ、あとは頭頂部と、前頭部もまだです。入れられるところを取っておこうと思ってて。いま42歳で、50歳くらいで終わる予定なんですけど、今年は入れませんでした。

いろんな人に「そのタトゥーってどんな意味があるの?」とか聞かれるんですけど、意味なんてないんですよ。なんで入れているのかも、自分でよくわかってなくて。ただ完成系が見たいっていうだけで。顔面に入れたのも〈VISVIM〉では止められたんですよ。だけど、もういいやって思って入れて。

手首のあたりで止めちゃう人いるじゃないですか。そういう保守的な考え方は好きじゃないんです。彫り師のヤスさんにも2、3回止められたんですよ。「顔に入れると生活がやばくなるよ」って。だけどぼくはそれでもやりたかった。逆に入れてよかったですけどね。これが名刺代わりになるじゃないですか。悪いこともできなくなりましたし(笑)。

負けたくないっていう気持ちもあって。自分よりも入っている人と道ですれ違いそうになると、その人を避けて、別の道を通るようにしているんです。いまはもう無敵状態なので堂々と歩いていますけど。

ー 実際に生活への影響はなかったですか?

西本:この前10年ぶりくらいに親父に会ったんですけど、「お前、どうした?」って(笑)。だけど、自分の人生は自分のものだし、だからケツも自分で拭くよって言ったら、「そうだな」って言ってましたね。べつに悪いことをしているわけじゃないですから。ただ、親戚に会うのはちょっと気まずいですね…。

ー お父さんはどんな人なんですか?

西本:割と有名な会社で働いていて、もう定年退職しているんですけど、ボケちゃうからってバイトしてますね。3人兄妹でぼくが長男なんですけど、弟はもっと悪かったですね。いまはもう結婚して、すごくいい旦那さんになってますけど。だから自分だけ取り残されちゃったなぁと思ってます。

ー 〈VISVIM〉を辞めたのはいつ頃ですか?

西本:去年の7月ですね。副業をやっているのがバレてしまって。それが「NISHIMOTO IS THE MOUTH」ですね。

預言者にならないといけないポジションになっちゃった。

ー 「NISHIMOTO IS THE MOUTH」はどのようにしてスタートしたんですか?

西本:2017年くらいだったと思うんですけど、先ほどお話しした中村穣二さんと、もうひとり、某ブランドでデザイナーをやっている友人Aと中目黒で飲んでいるときに、友達に配るためのTシャツをつくろうということになってスタートしたんです。

ー その頃はまだ顔にタトゥーは入ってなかった?

西本:鼻だけとかでした。デザイナーがぼくの写真をつかってグラフィックをつくって。それをTシャツにプリントしたんですけど。たまたまそれをドレイクが着てくれて。そのとき売ってれば、かなりの収入を得られたと思うんですけど、当時はまだ〈VISVIM〉にいたからできなくて。穣二さんも当時はこんなことになるとは思ってなかったはずです。

ー いまはもうブランドとして始動していますよね。

西本:〈VISVIM〉を辞めたときはまだ、ブランドとしてやろうとは思ってなかったんです。夜の仕事でもしようかな? くらいに思っていて。でも運が良いことに、一緒にやりたいと言ってくれる人がいて、そこから本格的に動きはじめたという感じです。

ぼくの友達にアーティストの河村康輔くんという人がいるんですけど、彼とビックリマンとのコラボを指揮したのがコモンベースっていう会社なんですけど、そこで働いているスガヤさんという方に声をかけてもらいました。ドレイクとか、トム・サックスとか、ヴァージルが着ているってことで反応してくれたみたいなんですよ。それで出資してくれるということで、これで働かなくて済むなと。そういう甘い考えでスタートしたんです。

ー 結構取引き先も多いですよね?

西本:この前、「ComplexCon」っていうLAでやっているストリートブランドの展示会に出て、そこで一気に増えました。いまは海外含めて20店舗くらいですかね。海外でやりたかったので、うれしかったですね。ゆくゆくは拠点も海外にうつしたいと思っているので。日本も楽しいんですけど、いろんなしがらみがあって、そういうのが面倒なので。

だけど、ぼくは長期的な目標とか立てられないんですよ。半年後くらい先しか見てなくて。「10年後に何していると思いますか?」って聞かれますけど、たぶんこの世にいない気がするんです(苦笑)。

ー 将来的には海外に行くのが目標?

西本:そうですね。50歳くらいまで生計を立てて、そこからは隠居したいです。静かな普通の生活がしたい。遊ぶパワーとかもだんだんなくなってくると思うんで。

ー 「NISHIMOTO IS THE MOUTH」っていう名前は、最初に中目黒で飲んでいたときに決めたんですか?

西本:一緒に飲んでいたデザイナーに子供が生まれて、彼が「子供は神様だから、子供の声を理解できる人」ということで「NISHIMOTO IS THE MOUTH」ってネーミングしてくれました。といっても、自分でも最近までよくわかってなかったんですけど(笑)。

ぼくは架空のカルトクラブの預言者みたいなストーリーができあがってて、それをするための設定があるんですよ。たとえばタクシーに乗っちゃいけないとか、コンビニはOKとか、そういうのを穣二さんとデザイナーが真剣に話してて。

それでいまぼくは預言者にならないといけないポジションになっちゃったので、普段も全身白のスエットしか着ないですし、写真撮るときも気功砲のポーズ取ったりとか。

ー (笑)。

西本:次のシーズンはビットコインをつくって、それをNFTにしてお金に変えるっていうストーリーなんですけど、それによって自分がどんどん金の亡者になってダークサイドに落ちていく予定で。だから髪も伸ばさないといけないし、太らないといけないんで、いまそうしてますけど。自分の人生をそのストーリーに寄せていってますね。まぁ普通のブランドじゃないんで、おもしろいなって思ってますけどね(笑)。

ー ブランドに自分の人生を寄せている状況で、西本さん自身はどういう心境なんですか?

西本:おもしろいからいいかなっていう。あと、いま住んでいる部屋の家賃払えるし、好きなスニーカーとレコードが買えるんで(笑)。

ー スニーカーの量もすごいですよね。

西本:買うのを抑えようと思っているんですけど、買える状況に陥ってしまっていて、買っちゃうんですよ。これもタトゥーと一緒でとくに意味があるわけでもないんですけど。自分でもふわふわしてて、よくわかってないんですよ。

ー 部屋のフィギュアも気になります。

西本:変なのが好きですね。安いやつをメルカリで買ったりもしてて。大仁田厚が好きで、フィギュアもあります。いつか大仁田さんをモデルに撮影したいなって思ってます。

ー 自分の好きなことをできているんですね。

西本:そうですね。好きな人とコラボしたり、徐々に売り上げも上がってきているので。「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のアイテムに関しても、自分の表現が強すぎてスガヤさんに「やりすぎ」って言われることあるんですけど(笑)。ストッパーになってくれるんで、いいコンビだなって思ってます。

ー そこでバトルにはならないと。

西本:ならないんですよ。「ComplexCon」でロスに行ったときも、自分がどれだけ遊んでもスガヤさんは見守っててくれて。すごく良い人なんです。だけど、いまはもうちょっとPRというか、自分を売りだしていく時期だと捉えていて。というのも、ブランドをもうちょっと知って欲しいと思っているので。バズらない程度に。一発屋で終わりたくないから、ひとつ一つ階段を登るような形でブランドを続けられたらと思ってます。そこらへんは結構真面目に考えているんですよ。

ー 「ComplexCon」はどんな感じだったんですか?

西本:最高でした。それ以外の感想がないです。とりあえずぼくは遊びすぎて記憶が飛んでるんですけど(笑)。展示会のブースに置いておいた祭壇を誰かにパクられたのは覚えてますね。いろいろラッパーやスケーターも来てくれてうれしかったですね。

いつ死ぬかわからないからこそ楽しいことをしたい。

ー 今後もいろんな動きを予定しているのでしょうか?

西本:来年ありますね。自分がおもしろいと思った人やブランドといろんなコラボを予定しているので期待していて欲しいです。

西本:これからは異業種の人とやりたいですね。だけど、アンダーグラウンドに行きすぎるのもよくないと思ってて、メジャーな場所にも自分の居場所を確保したいんです。どっちでもいけるっていうのがかっこいいなと思ってて。

アンダーグラウンドでやっているぶんには名前は残ると思うんですけど、やっぱり一部の人にしか響かないじゃないですか。一方でメジャーでたくさんの人に届けるとなると、規制もあるでしょうし、すごいチャレンジングなことだと思うんです。そこで勝負したいというのが、いまの目標ですね。

だけど、そこでやるための手段はなにも考えてないですけど(笑)。

ー むかしは結構荒れた生活を送っていて、ある意味自由に生きていたと思うんですが、いまのほうが楽しそうですよね。

西本:確実にいまのほうが楽しいですね。自分は会社勤めに向いてなかったんだなと思います。これを着ちゃいけない、タトゥー入れちゃいけない、髪型もこれはダメとか、なんで自分の人生なのに人に指示されなきゃいけないんだろうって思います。だからいまのほうが楽しいですね。ギリギリで生きてますけど、いろんな友達とか先輩や後輩に助けてもらいながら生きているので、本当に感謝しています。

西本:まぁでも、振り返ると変な人生ですね。死ぬときにいい人生だったなと思えればいいかなって。今年後厄でようやく抜けるので、来年はいいことあるんじゃないかと期待しています。

40歳を超えて死を覚悟しているところもあるので、いつ死ぬかわからないからこそ楽しいことをしたいですね。最近、『ノンフィンクション』で立川談志が出ていたんですけど、めちゃくちゃかっこよかったんですよ。「老いには勝てない」って言ってて、そうなる前にやることやっておきたいです。

ようやく人生の第二章がはじまったような感覚なので、これからは本当にいろいろやると思います。もっとおもしろいことを考えつつ、売れるか売れないかはわからないですけどね(笑)。

INFORMATION

NISHIMOTO IS THE MOUTH

nishimotoisthemouth.com
Instagram:@k_nisimoto_

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