紙飛行機で宇宙旅行。 --ものについて。時々酒と、下ネタと。--
Ray and LoveRock
「写真を撮る人」
Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」
http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/
「恋に落ちて。」
2012.04.16
このところ、毎朝習慣になっていることがある。手巻き時計の龍頭を巻くことだ。龍頭の音は耳にも優しく触れるけれども、指先を伝って耳に馴染む音でもあった。
時計はまったくマニアではないのだけれど、だけれど、文字盤を見ているのはすごく好きだ。
文字盤に描かれた数字は、特別に――その時計のために――デザインされているようだ。薄く、繊細に切り取られた影絵のような長針があって、少しだけずんぐりさせた短針がある。時を刻むためにはそれよりはるかに細い繊細を越える言葉が見つからないが、その細さの儚いほどの、消え入りそうなほどの、細さを極めた秒針が静かに時を刻む。
ロレックスなんて、ぼくの身の丈に合わないものを買ったきっかけは恋というプロセスと同じだった。
陽に妬けた、少しざらついているくらいの印象がそこにあって。だけれど、繊細な針は優しく、まるで時間を止めるかのように優雅に動いている。
時計との出会いを想うと、恋を思い出してしまう。
恋はいつでも一目惚れなのではないだろうか? これは筆者だけの感覚なのかもしれないけれど、とにかく恋は一目惚れから始まると信じている。甘酸っぱい恋の始まりがそこにある。
一緒にいて、気づくと好きかもしんま~い♪ なんてゆるい恋などしたことはない。はじめからストレートで押すタイプなのだ。投げて打たれたら......、考えたくない。
一目惚れというのは直感といえば直感でしかないのだろう。
だけれど、自分の目を疑うことはしない。ロレックスの針に、文字盤にうっとりするように、その人の目を見て、雰囲気のすべてを感じ取ろうとする。好きになるという力がそこにある。
その人の持つ"美"を全身で感じ取ろうとしてしまう。そこにあるのはまるで感触。美しい人だと思わなければ、好きになれない。だから、全身全霊で、その人の美を受け入れていくのだ。あくまでも五感、そして第六感で"感じている"。頭で考えてのことではないだろう。文字盤に日焼けをマイナスポイントと見る人もいるだろう。古びて、汚いと。
だけれど、ぼくには"美"としか捉えれないのだ。個性はすなわち"美"となることがある。そこにいる人を好きになるという偶然を導くのはあくまでもその人の持つ"美"に他ならないとまで思えてくる。
文字盤が過ごした時間は、ただの経年変化なのか!? ラスコーの壁画をきちんと見たことはないけれど、あの壁はこんな風合いをしていた気がする。パリのアパルトマンの壁も。
美しいものは一様ではない。
だが、美しいものは必ず"強さ"を持っている。
美しさとは繊細さであり、同時に強さでもあるのであった。
ただ美しいだけなら、ぼくはいらない。尊敬とか一目置くとか、そういう何かを感じていないとダメなのだ。そんなもの、ひと目でわかるのか、と言われると、何とも返事がしづらいのだけれど、それでもわかるのだ。
好きになる人はシーンで覚えている。その人の動き、言葉の発し方、指の動き、歩き方、何が、という部分ではないちょっとしたことすべてがぼくのなかでシーンとして組み込まれていく。
そのシーンの中に、人は"本質"を潜ませる。
その人の本質を見ること、見ようとすること、それが恋なんではないか、と思う。
そして、好きになる瞬間、でもあると思う。
時計に戻る。
ぼくは、時計のムーブメントの動くささやかな音を聴きいってしまう。
刻む時間は同じなのに、好きな時計の動きは柔らかく、ゆっくりとしている。優しく耳に触れながら、マイペースに進んでいる"音"がする。
そして、龍頭を回してみてはっきりとした恋の気分がわかる。
ちゅりゅゅゅゅ。龍頭を回した音。龍頭の音だ!はっと息を飲むように静かに音を耳が、指が聞こうとしている。ゆっくりとしたリズムで、個性的な音を立てる龍頭はぼくの好きな女性のタイプと一致する。
ぼくは、どうも、ゆっくりとしたリズムでしっかりとはしているけれど、角のない声が好きだ。早口で尖った声をしている人はどうもダメなのだ。
だって考えてみてほしい。
一緒に過ごしたい、たとえ食事だけでもいいから、同じ時間を共有したいだけなんだから。自分が思う美が目の前にあって、自分が尊敬できて、そして、声のリズムと音域がぼくの好み通りだったら......。
一緒にいたくなって当然だろう!
ただただ、この時計とともに時間を過ごす。そんなプラトニックな気持ちは恋と同じ。人を好きなるとは、こんな風に、一個の時計を好きになるのと同じなのだ。
このロレックスに一目惚れして、その店でしばらく売れなかった。何度も見に行って、数ヵ月後、ぼくは"告白"するように、"好きだ"といってしまうように、買ってしまった。そして、オーバーホールをして、毎朝龍頭を巻く。
もうひとつのお気に入りが、<Vague>のバブルバック。ロレックスもそうなのだが、手首の細いぼくはボーイズサイズがしっくり来る。そして、自分の中にある美学にも合う。赤い秒針に、ダイヤルの赤いマークに、一目惚れしてしまった。
もちろん龍頭の音もすこぶる良かった。
半年くらいは静かに見ている。好きという気持ちを気づかれないようにしている。やがて時が来るのを待つ。「会えない時間が愛育てる♪」と郷ひろみが歌ったように、自分の恋を確認する時間は必要なものだ。
時間とは刻まれながら、人に何かを刻んでいく。きちんと刻むべきものがあって、それを必要としている人の心のひだに何かを刻む。
その心のひだに刻まれたものが、また、ぼくを好きという気持ちにさせる。
切なさを知る瞬間だ。
切なさを知って、初めてぼくは「好き」という言葉を問いかけるように口にする。
新しい時計に恋をするのは簡単だけれど、人に恋をするのはやはりむずかしい。
相手あってのことだからね。
ま、片思いだって、恋は恋。そんなくらいがちょうど良いのかもしれない。