紙飛行機で宇宙旅行。 --ものについて。時々酒と、下ネタと。--
Ray and LoveRock
「写真を撮る人」
Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」
http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/
「この想いに切なるもの」と「年下の"アニキ"」。
2012.06.15

何で、雑誌なんだろう?
どうして、ぼくはこんなにも雑誌にこだわるんだろう?
雑誌は読まれてしまえば、捨てられる。刹那の運命を持って生まれるものだ。捨てれるものを、なぜ、ぼくは、作りたいと思うんだろう。
救われる瞬間。
そこにすがる自分がいる。
ページを作るとはなんなのだろう? 自らに問いかけてみる。
たとえば、The SoloIst.の服を見ていると、美しくもかわいい誌面を作りたくなる。いや、そうじゃないんだ。Takahiro Miyashitaが語りかけてくる音、聴こえてくる声はぼくにとってはすでにページに見えてくる。紙が色身を帯び、やがて、そこに絵が描かれていく。その過程は、あくまでひとりの頭の中にあるのではなく、服の囁きが導いてくれる。
袖を通したとき、それは確信に変わる。
雑誌を作る、有限の時間の中で。
手触りを求めて、雑誌が編まれていく。するりと手から抜けたとき、雑誌は編み終わり、人の手に渡り、やがて捨てられ、大きなリサイクルというシステムの中で、また新しい雑誌に生まれ変わっている。
雑誌とは大きな大きな新陳代謝をおこなう生き物みたいだ。
ファッション誌を作ってきた過去。
今でも、ファッションとぼくを繋ぎ止めてくれる太いロープみたいな存在はいつも、Miyashita Takahiroという、センチメンタルを知る男の存在だった。
ぼくがコンサバティブな場所にいて、ややコンサバティブな服装をしているときに会うと、怪訝な顔をして男は言った。
「はじめて、会ったとき、全身<COMME des GARCONS>でこんな人もいるんだなあ。あれは結構インパクトあったのに......。今の立場はわかるけれど、もっと普通にファッションで良いんじゃないですか?ありのままで」
男の言葉に、何も言えなくなった。尾崎豊の歌詞ではないけれど、"ぼくがぼくであること"はぼくという人生にとってどれくらい大切なのか、男はなんのてらいもなくさらりと言ってくれる。
コンサバティブな場所でコンサバティブを超えることは実はファッションのファッションたる所以。
そこに必要なものはほんの少しのファッションという名の勇気。
そんなことに気づかせてくれたのは、これもまたTakahiro Miyashitaだったりするから、まぁ、ぼくは彼に甘えているんだと思う。
そして、最近強く思うことがある。どんな形であれ、"ぼくは雑誌を作り続けなければいけないんだ!"と。
好きな言葉に、「この想いに切なるもの 遂げずといふこと 無き也」(「正法眼蔵随問記」より) という言葉がある。切に願えば叶うものだと。
だから、また、雑誌作りに挑もうと思ってみたりしている。
その加速を得るためのギアを入れてくれくれたのも、「まずはやらなきゃ! 勲章また、作ってからでしょ」とTakahiro Miyashitaの言葉。
年下の"アニキ"です。