『8mile』に憧れて、工場で働くことを決めた10代。

PROFILE
1998年、富山県出身。幼少期から高校まではバスケットボールに明け暮れる。高校時は全国大会に出場。部活動の終わりから音楽制作を開始する。2018-19AW〈Vetements〉のパリコレクションでモデルデビューし、現在はモデルとして幅広く活躍中。
Instagram : @keigo__okazaki
ー 学生時代はバスケットボールをしていたんですよね。富山県となると、八村塁さんが真っ先に思い浮かびます。
Keigo:塁さん、ぼくの中学の先輩なんです。一緒に帰ることもありましたよ(笑)。でもやっぱり先輩なので、怖かったですけど。当時から大きかったですね。
ー 現在はモデルのほかに、トラックメーカーとしても活動されていますが、音楽へはどのように興味を持ったんですか?
Keigo:高校へ通っていたとき、徒歩で片道1時間くらいかかってたんです。普通は電車なんですけど、田舎すぎて電車も通っていなくて。そのとき、母親がポータブル音楽プレーヤーを買ってくれて、そこから音楽を聴き始めるようになりました。最初は母親世代の音楽を聞いていたんですけど、聞き飽きて自分でレンタルするようになって、音楽を掘るようになったんです。
ー 高校を卒業されて、上京されたんですよね。
Keigo:そうです。東京の印刷会社で就職が決まって。工場で働きながら、音楽をつくっていました。自分で曲をつくろうと、「MPC 2000XL」というサンプリングマシンを買って。当時はラップがかっこいいなって思って、ラップもしていたんです。ビートメイクをはじめた頃は、まだNujabesとかは知らなかったですね。


ー どうして工場だったんですか?
Keigo:映画の『8mile』に憧れて、工場で働くことを決めたんです。当時は「働く」と「音楽」、「インプット」と「アウトプット」のバランスがとてもよかった。正直辞めたくはなかったんですけど、〈Vetements〉のコレクションにモデルとして誘ってもらったんです。パリに来てと言われて、ぼくもパリに行きたくて。でも行くとなったら長期で会社を休まなければいけなくて、それで辞めざるを得なかったんです。
ー この先どうなるかわからない場所へ飛び込むのは勇気がいりましたよね。
Keigo:そのときは純粋にパリに行きたい気持ちが強かったんです。だから全然そんなことは考えていなくて。いまは守るものが多すぎて無理だろうけど、そのときは守るものがなかったんですよね。