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ドラッカーの遺言
2010.04.21
最近何かと話題のピーター・ドラッガーが95歳で死ぬ前に書いたとされる詩。結構有名だ。まずはそれを引用する。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
これが実はよく似た文章がナディーン・ステアという85歳の女性の作としてあるらしいのだ。その件を書いた記事がこちら。
へー。ちょっと膝を打った。みんなに知ったげにこれドラッガーの最後の詩、なんて説明していた。無知は罪というか恥だね。もしぼくのように誤解している人がいるのなら本日より訂正しましょう。
しかしこれであるが、どっちにせよかなり高齢まで恵まれて生きた人の回想詩である。若くして志半ばに倒れた者、あるいは苦難を重ねてきた人には空虚にしか響かない。
例えばチャールズ・ブコウスキーが同じような詩を書いたらどうなるのか。自分でイタコになってやってみようと思ったが、存外難しかったので断念。今度再チャレンジしてみよう。
非常に感慨深い詩ですが、ドラッガー作でなければ、感動半減ですね。あれほど小難しく考えてたと思われる人の中に、人間味が見えるから共感できるように思います。
そうですね。
でも考えさせられる詩ではありますね。
ぼくもここまで長生きして、こんな言葉をささやいてみたいです。