小径逍遥、再び。
青野賢一
ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター
「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。
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No.14 北風と旅
2010.02.06
北風が吹きすさぶ晴れた冬の朝は、
無性にどこかに旅行したくなる。
自分でも理由はよく分からないが
とにかくそういった心持ちになるのだ。
もちろん、そんなことを思っても
すぐに行ける状況ではないし、
仮に行ける状況だったとしても
自分にはそんな思い切りのよさがないので、
アタマの中で考えているだけで
まったく現実味のない話なのだが。
先日、とある書店の店頭で
『瀧口修造1958ー旅する眼差し』
という本がディスプレイされているのを見た。
ディスプレイ、と書いたのは
普通の本のように
手に取って読める状態ではなかったからだ。
1958年、ヴェネツィアビエンナーレ代表として
ヨーロッパへと旅立った瀧口修造の
4ヶ月以上にも及ぶ滞欧を、
氏が自らカメラに収めた写真から繙くこの本は、
前述の写真集の他、解説書や氏が滞欧中、夫人に宛てた書簡、
パリ-バルセロナ間で氏が残したメモ、
そして2L版オリジナルプリントも封入された
豪華特装本。
限定400部ですべてにエディションが切られている。
書店ではどうやら在庫を持たずに
受注発注というかたちをとっている様子だったので
この日はそのまま注文もせずに帰宅した。
カメラがデジタル主流になり、
音楽もレコードやCDから
デジタル圧縮音源へと移っていく中、
先の瀧口修造の旅の写真のような記録、
言い換えれば「もの」を通じた記憶が
どんどん薄れている気がする。
「もの」から喚起される記憶、心象風景は
温かみをもってこころに滲みる。
その感触、その姿、その匂い。
頑に時代の流れに逆らうつもりは毛頭ないが、
せめて自分のこころの中には、
こうした「もの」の大切さを忘れずに残しておきたい。
ボクも昭和の人間なんで何か「モノ」としての質量っていうか形が無いと満足できないタチです。
青野さんは特に「音」っていうもともと形の無いものをモノに閉じ込めて、それを所有している世代でしょうから昨今のデジタル一辺倒には違和感強いんじゃあないですか?
BoogieNightsさん
コメントありがとうございます。
「音」にパッケージが加わることで
より色々なことがその中に付加される気がします。
見て音を思い出したり、情景が浮かんだり、と。
何事も程よい距離感が必要だとは思いますね。