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青野賢一ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。www.beams.co.jpshop.beams.co.jp/shop/records/blog.beams.co.jp/beams_records/

小径逍遥、再び。

青野賢一
ビームス クリエイティブディレクター / ビームス レコーズ ディレクター

「ビームス創造研究所」所属。選曲・DJ業、執筆業。音楽、ファッション、文学、映画、アートを繋ぐ。
www.beams.co.jp
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No.20 食欲

2010.10.25

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長過ぎる夏が終わって、
短い秋がきた。

思えば、今年の秋に「秋らしい日」なんて
殆どなかったのじゃなかろうか。
もう寒い。

しかし、短かろうが秋である。
昔から「○○の秋」などと称されるこの季節に、
私は一冊の本を読んでいる。


『食物漫遊記』というタイトルのその本は、
ドイツ文学者であり
希代の博覧強記で知られる種村季弘が
1979年から1980年に月刊『飲食店経営』という
業界専門誌に連載していたものを一冊にまとめたものである。

タイトルからすると、食べたものについて
あれがどうだ、これが美味いなどと
書き記されているもののように思われるだろうが、
さにあらず。

いつまでも辿り着けない美味い(と教えられた)店、
狐憑きと油揚げの話、画に描いた餅を食う話、
断食、絶食をする人、など、
食を精神的な遊びのメタファーにして、
且つまた、膨大な知の宝箱から
それを補完するエピソードや文献を
さらりと目の前の皿の上にサーブしてくれる、
非常に楽しい一冊だ。


その中の一編「天どん物語」に、
興味深い箇所があった。
曰く「すでに食べたことのある食物には一つ一つ、思い出の淡い薄膜が
埃のようにうっすらとかぶさっている」。

味というものが、記憶というフィルター
(もしくは調味料か)によって変化するというのは、
思い返してみれば言い得て妙だ。
甘美な記憶を呼び覚ます味ならまだしも、
思い出したくもない封印された記憶のトリガーとなるものは
嫌いな食べ物ということになるだろう。

人間の記憶とは、随分と都合よく出来ていて、
嫌な記憶のトリガーとならないように、
その記憶に色々なレイヤーをかけて
全責任を食べ物そのものに押し付けるという
芸当をやってのけるから面白い。
押し付けられた食べ物は
迷惑この上ないだろうが。

個人的にあまり好んで食べないもののひとつに
おでんの大根がある。
これには、現実的な要因、
つまり、他のタネに味や匂いが移るということと、
あの「うにゃり」とした食感ということ以外、
好きでない理由を導き出せないのだが、
実は自分の忘れている(忘れたい)事件が
幼少期にあったのかもしれない。

確か、『食物漫遊記』は
ちくま文庫からも出ていると思うので
ご興味ある方はご一読あれ。


この本とほぼ時を同じくして、
とある古いブラジル映画のコメントを書くために、
ブラジルの文化について調べていたら、
「食べる」という行為に関して
面白い記述があった。
先住民の、戦いにまつわるそのエピソードは、
文字通り「食うか食われるかの戦い」という言葉に
集約されるものであり、
食欲の秋に相応しいかどうかはさておき、
興味を惹かれる話題ではあった。

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