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Ray and LoveRock「写真を撮る人」Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/

紙飛行機で宇宙旅行。 --ものについて。時々酒と、下ネタと。--

Ray and LoveRock
「写真を撮る人」
Ray and LoveRock(れい あんど らぶろっく)写真を撮る人、ファッションエ ディターでもある人。フツウの人ではありますが、生きることはどちらかという と下手です。文章もロックンロールしていければ良いなぁ。「ものや写真、少し はカルチャーのことなんかを書いていきたいですが、お酒のこと、下ネタも好き なんで、お付き合いください」

http://blog.livedoor.jp/rayandloverock/

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文章の滋養強壮。

2012.05.29

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日の名残り_.jpg遅ばせながら、読んでいます。画像をアマゾンからコピーしてきたので、「なか見!検索」なんて文字まで貼り付いています。ごめんなさい。



 ものを書く人間にとって、良い文章を読むことはとても大事なことだと思う。当たり前のようだけれど、このことはとても大切なことだ。

 よい文章を読むことで、自分の文章が変わる。直接的(であったら逆にパクリとかの問題が出るのだが)ではないにせよ、確実に文章は変わる。この文章の変革を人間の体にたとえるのであれば、本人という肉体は変わらないけれど、細部が少しづつ変わっていくことが実感できると思う。

 カルシウムを摂って骨が強くなることは目には見えなくても大事なことだ。無添加なものや味の濃くない、香りのあるものを食べ続けると嗅覚、そして味覚は敏感になるし、何よりも官能の部分が刺激され、人間としての感度が高くなる。この、味覚や嗅覚と人間の感度の話はいつか書いてみたいと思う――なかなか難しいのでチャレンジしていないのだけれど。

 上質のタンパク質(たとえば鶏肉の笹身の部分)は良質の筋肉を形成するのに役に立つ"栄養"であり、にんにくや生姜は食べ物を美味しくさせる香り付けをしながら、生ものなどの毒消しの役割を果たしている。ネギやミョウガなどの薬味も同じような意味がある。

 実際、にんにくの殺菌効果はすこぶる良く、大腸菌を入れたシャーレに摺ったにんにくを入れると大腸菌はたちまち消滅していく。

 生ゴミ処理機は細菌に生ゴミを食べさせる仕組みらしいが、生ゴミのなかににんにくが入っているとその細菌が死滅してしまい、結果的に機能しなくなってしまうという話を聞いたことがある。細菌にしてみても、せっかく世の中の役に立っていたのに、にんにくなんて!? 思わぬ天敵がいて、かわいそうな話である。せめて成仏してほしいものだ。

 にんにくに関してはまだまだ書き足りたりないのだが、今回はこの辺でやめておく。

 話は戻るが、われわれはさまざまな栄養を摂りながら、それを肉に変え、骨に変え、血液に変え、それが脳、そして肉体の栄養になる。

 良い文章を読むことは、すなわち文章という未開の地を歩くための栄養になるに他ならない。文章とは常に道なき道を歩くこと。――それはたとえ、ぼくが書いているこの稚拙な文章でもそうだ。

 あなたの読んだ文章は、あなたが読んだ分だけ、あなたの文章を成長させる。それが、どこがどう変わったか、などわからなくてもいいのだ。

 さて、問題はあまりに力がある文章に出くわしたときだ。

 いま、ぼくは――この文章を書き始める前のぼくということなんだけれど。――文章を書く力を失った。正確にいうと、書くための道を見失ったというほうが正しいのかもしれない。

 カズオ・イシグロの『日の名残り(原題は『THE REMAINS OF THE DAY』を読み始めてしまったのが悪かった。書くよりも読みたいのだ。先を知りたい。それも"文章の先"を。

 カズオ・イシグロのおそるべき才能は、文章としての先、つまり内容、そして物語の先が読みたくなるだけではなく、文章そのものの持つ味、文体の先が読みたくなってしまうから、困る。土屋政雄さんの翻訳の文体もすこぶる良い。

 人間にたとえても仕方ないことだけれど、やはり、一緒にいて面白い人と一緒にいたいものだ。そんな文章なのである。その人の話もだけれど、その人そのものが持つ雰囲気とか在り方とでも言えば良いのか、つまりは佇まいが素敵だとずっといたいと思う、そんな感じなのである。

 なんというか、温かいのに強い、そんなお湯の中に浸かっているみたいな、安心感がぼくの全身にすっぽりと染み込んでくる(浸っているのに染み込むというのも変なのだけれど)。文体の強さとはこんなにも人間の内から外から攻めてくるのだなぁ、と思う。

 自分でもこんな文章(つまり内と外から攻めるような文章)を書けるようになってみたいと思う。

 カズオ・イシグロを読み始めると、このエッセイに手がつかない。困ったものだ。

 だけれど、いずれぼくの文章の栄養になるんだと思うと、それはそれで、楽しみである。