写真が飽和した時代の感覚。
—— 濵本さんの活動は「写真を拡張している」と言われることも多いと思いますが、それは写真史を研究し尽くした結果なんですか?
Hamamoto: むしろ全然知らない方だと思います。以前、「銀座 蔦屋書店」で巡回展をした際、担当の方から『反写真論』をすすめられたのですが、写真を「正しく説明するもの」としてではなく、もっと曖昧で、不確かなものとして捉える視点が自分の感覚にすごく近いと思いました。
写真というメディアは、プロが立派に額装して、大層な言葉で語るものというイメージがどこかにありました。でも私は、そんなに大層なものじゃないとも思っています。嘘もつけるし、ただのペラペラな紙でもある。SDカードやネガを無くしたら消えてしまうような、どこか信用ならない軽さがある。その言葉だけでは固定できない軽さがすごく好きなんです。カメラという道具をひとつとおしているからこそ、どこか他人事でいられる。責任を持ちつつも、自分自身が解放されるメディアだと思います。
倉石信乃『反写真論』(1999年、河出書房新社刊)
詩人、批評家の倉石氏による写真批評。「写真はいつから原初の驚きを捨てて、予定された観念のアリバイ工作としての挿図になり果てたのか。収拾不能な『次元の差異』を抱え、訳の判らない、途方もないものでありながらも、過剰なまでの透明性を備えてもいたメディアであるはずの写真…」(本文より)という言葉は、まさに濵本さんの感覚と重なる部分があるだろう。
—— では最初から「写真の外側」へ向かう感覚が濵本さんにはインストールされていたんですね。
Hamamoto: 周りの同世代に写真をやっているひとがあまりいないので推測になってしまいますが、いまの時代、写真は「すでに出尽くしている」という感覚が、わざわざ調べなくても直感的に分かってしまう部分があるのではないかと思います。いまのカメラは高スペックで画質がよくて、人間の目を超えていますよね。そのスペックの勝負から一旦外れて、「何か変なことをしてみる」とか「自分じゃないとできないことをする」方向に向かうのは自然なことだと思います。
—— 先程、「高校生の頃は日記を書いていた」という話をしていましたが、言葉に対する意識はどうですか? 普段から活字をよく読まれると伺っています。
Hamamoto: 私がより強く信頼しているメディアは、圧倒的に「言葉」や「本」です。信頼しているからこそ、それらから大きな影響を受けます。逆に写真のことは、メディアとして無条件には信用していません。言葉や詩というものは、ひとの目に触れるまでにすごく練り上げられて、時間をかけて現像されて出てくるものですよね。一方で、写真はまず現実との出会いがあって、その瞬間に成立してしまうメディアです。その成り立ちの違いから、私のなかでは言葉と写真ではメディアとしての向き合い方が全く違います。
だからこそ、撮るときには「即時性」を強く意識します。「あ、撮りたい」と思っても、もたもたしている間にその瞬間は終わってしまう。シャッタースピードと同じ、一秒を何分割もしたような短い時間しか、撮りたいものは目の前に現れない。でも、そういう瞬間は案外たくさん訪れるとも思っています。だから、できるだけその場で反応できるようにしたいと思っています。
濵本さんが昔から知っていた鎌倉・稲村ヶ崎が、実は軍事遺構だということを友人から聞かされたときの衝撃がこの写真集『ー・・(チョー タン タン) 』を制作した原体験になっている。近日、写真集の再販をオンラインで受け付け、今年8月に第3刷を発行予定。この日の撮影は、材木座海岸で行った。
—— 「木村伊兵衛写真賞」を受賞した作品『ー・・(チョー タン タン) 』は、第二次世界大戦末期の人間兵器「伏龍特攻隊」 を取り上げています。公的な資料の大半が処分されていたことも制作のきっかけになったということですが、濵本さんの作品に通底しているのは、消えゆくものや、見過ごされてしまいそうな小さな声を掬い上げたいという思いなのでしょうか?
Hamamoto: 誰も気づいていないようなもの、私だけが見つけていると思っている存在を、ものとして留めておきたいという気持ちは一貫してあります。それを見せびらかしたいわけではなく、100年後の誰かが図書館で偶然その資料を手にしたときに「へえ、100年前ってこうだったんだ」と出会ってくれたらいいなと。手紙をボトルに詰めて未来の海に流すような感覚に近いです。
よく作家の役割として「拡声器」とか「小さな声を掬い上げる器」という表現が使われますが、私自身にはそんな大層な自覚はありません。ただ、データの寿命は数年から数十年単位ですが、紙は100年、石は1,000年以上保つといわれていますよね。そういった理由もあって私はデータをあまり信用していません。だからこそ、紙に印刷して物質として残すことにこだわっています。
よく空想するんです。いつか人類がこの地球上からいなくなって、自分自身も消えてしまった後、私の目の代わりとして、私の撮った写真(物質)だけがそこにぽつんと残っているような世界を。それを見てみたい。私たちの世代は、どうしても絶望的なニュースが多すぎて、人類がいなくなった後の世紀末のような未来を容易に想像できてしまう気がします。いまを心から手放しで楽しめないからこそ、自分が生きた痕跡を物質として未来へ放り投げておきたいという感覚が、どこか当たり前の前提としてあるのかもしれません。
QUESTION
Email Interview
フロットサムブックスの小林孝行に聞く濵本奏。後半
Q4. 「フロットサムブックス」の棚に濵本さんの本が並んだとき、それはどんな文脈(海外のインディペンデントなアートブック、あるいは国内の私写真など)と共鳴しているように見えますか。
A4. 海外の作品集と並べても違和感ないし、日本の写真集と並べても違和感ないので、どこにでも入るし、どこにも入らないとも言えるんじゃないでしょうか。
Q5. 濵本さんの展示では、写真と言葉、インスタレーションなどメディアを選びません。小林さんから見て、彼女の紡ぐ言葉と写真の関係性をどう捉えていますか。また、写真と彼女の距離感をどう捉えていますか。
A5. 質問が難しすぎて分からないです。答えになってるか分からないし、なんとなくですが、語るべきこと、示すべきことみたいなことをよく理解してるんじゃないかなと思います。例えば、言葉で説明できちゃうようなことはイメージや立体や空間で表現する必要はないかもしれませんが、自分が表現したいことについてちゃんと理解してるんじゃないかなと思います。
Q6. 初期の作品から現在に至るまで、彼女の表現に変化や深化を感じる部分はありますか? また、これから彼女がどんな写真家になっていくと期待していますか。
A6. 作品ごとに変化してるように思うので、まだまだこれから変わっていくかもしれないですね。まだまだ初期だと思っています。これから10年、20年と経ってから分かってくるんじゃないかなあと。国内だけじゃなく世界で活躍する写真家になってほしいと思ってます。それか早々に写真を辞めて、全然関係ない仕事してても面白いなと思います。何をやっていても多分面白いひとだと思います。
PROFILE
ビジュアルブック専門店「フロットサムブックス」のオーナー。たまに濵本奏に店番を任せることも。インディペンデントな才能を集めた『ZINE tour』を22年から開催し、今年も11月まで全国で行う。フイナムのブロガーでもある。
Instagram:@flotsambooks