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Vol.2 井原知一×内坂庸夫 トレイルランニングにまつわる往古来今。
MONTHLY JOURNAL Nov. 2021
Let’s Trail Running The Mountain Together!!

Vol.2 井原知一×内坂庸夫 トレイルランニングにまつわる往古来今。

インディペンデントな国産メーカーが数多く生まれ、若手アスリートの台頭、はたまたフィットネス女子の参入など、着実に人口を伸ばしてきたトレイルランニング。コンペディティブな競技として、山のアクティビティの1つとして、はたまたただの遊びとして、トレイルランニングは今後どのように発展を遂げるべきなのか。黎明期からシーンを見守ってきた編集者の内坂庸夫さんと、日本を代表するトレイルランナー・井原知一さんの対談から探る、トレイルランニングの過去・現在・未来。

おしゃれなトレイルランナーとでかいパンツ。

ー 井原さんは、いつ頃からそのトレイルランにハマったのですか?

井原:ぼくは2008年にトレイルランを始めました。ちょうど第2回斑尾フォレストトレイルの時ですね。レースディレクターの石川弘樹さんがスポンサーをいっぱいつけて雑誌の表紙を飾っているのがすごく印象的でしたね。ぼくはダイエットがきっかけで走り始めたんですけど、走るといえばトレッドミルとか、ロードだったですね。そこから、大体の人はフルマラソンを目標にする中で、ぼくはトレイルランのほうに行ったんです。〈サロモン〉とか〈スント〉を扱っているアメアスポーツジャパンに勤務していたのが大きかったですね。〈スント〉が石川さんをスポンサードしていたんです。ぼくは斑尾フォレストトレイルの15キロを走りました。その時に、トレイルランナーってとにかくカッコいいなって思ったんですね。ロードランナーよりもトレイルランナーの方がファッショナブルだった。ぼくも海外生活が長くてイギリスとかアメリカにも住んでいたのですが、なんかこうアメリカっぽい感じがあったり、1つひとつのギアにしてもザックにしても、とにかくカッコいいなって印象でしたね。

ー 斑尾は当時のオシャレ大会でしたよね。

内坂:〈パタゴニア〉一色だったね。斑尾=〈パタゴニア〉だし、当時のファッションとしても、〈サロモン〉や〈ザ・ノース・フェイス〉あたりの大きなブランドしかなかったなあ。

でかいパンツを穿いている内坂さん(写真左)とトレイルランナーの石川弘樹さん。2007年の「ターザン」トレランツアーのとき。カリフォルニア州ベンチュラ(パタゴニア本社近くの桟橋)にて。写真提供:内坂庸夫

井原:石川さんのコピーみたいな格好の人がいっぱいいましたね(笑)。

内坂:ファッション的にはね、パンツがでかくて面白いなって思った。ランニングでは普通は邪魔なものは削ぎ落とすから、いわゆるロードランニングのパンツでいいわけじゃない? Tシャツはロードもトレイルランも同じような感じだけどパンツだけ違ってた。今のパンツに比べても全然でかい。丈も長いし、裾幅もダブダブ。サーフパンツに近い感じかな。石川さんにね「なんでトレイルランのパンツってぶかぶかしてるんだよ?」って聞いたの。そしたらね、「だって物入れるでしょ」って。「ジェルを入れたりファーストエイドキットを入れたり、いろんなものをポケットに突っ込むから、ポケットがいるんですよ。だからパンツはでかいんです」って。

井原:ぼくもでかいパンツを履いていましたね。石川さんってすごい先取りしているイメージがあるんです。でも、ファッションでも先取りしすぎて人気でないことがあるじゃないですか。UTMBで鏑木さんがバッと有名になる前に、石川さんもすごいことをやってのけてるのに、周りがついてこれなかった、ってことですよね。周りの成長とベストリザルトのタイミングが良かったのが鏑木さんだったってことですよね。

内坂:そうそう。石川さんは鏑木さんより前の2005年にUTMBに出場している。彼はね、ノーサポートで途中まで4位。ゴールは13位だった。

井原:すごいですね。

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