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Vol.2 井原知一×内坂庸夫 トレイルランニングにまつわる往古来今。
MONTHLY JOURNAL Nov. 2021
Let’s Trail Running The Mountain Together!!

Vol.2 井原知一×内坂庸夫 トレイルランニングにまつわる往古来今。

インディペンデントな国産メーカーが数多く生まれ、若手アスリートの台頭、はたまたフィットネス女子の参入など、着実に人口を伸ばしてきたトレイルランニング。コンペディティブな競技として、山のアクティビティの1つとして、はたまたただの遊びとして、トレイルランニングは今後どのように発展を遂げるべきなのか。黎明期からシーンを見守ってきた編集者の内坂庸夫さんと、日本を代表するトレイルランナー・井原知一さんの対談から探る、トレイルランニングの過去・現在・未来。

じわじわ来る充実感、100マイルに魅せられて。

ー とにかく第2次ブームはウルトラの時代。井原さんはどうしてウルトラトレイルというか、100マイルに惹かれていったのですか?

井原:当時、ぼくはとにかく斑尾の15キロから、やっぱり距離を伸ばすというのが次の挑戦であって、それで100キロ走りました。その後、知り合いに「世の中には100マイルって距離のレースがあるんだよ」と聞いて盛り上がった覚えがあるんです。まだUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)」が開催される前でした。鏑木さんも走る前だったけど日本でも100マイルを走っているランナーがいて「そんなディスタンスもあるんだ!」って衝撃が走りました。その知り合いが初めての100マイルレースにハワイのHURT 100っていう大会を選んだので、じゃあ自分もアメリカの100マイル走ろうと思って、カリフォルニアのCHIMERA 100MILEに出るんですけど、その前にちょっと、100マイルの練習しておきたいなってことで普段から走り慣れている多摩川と青梅を繋いで往復する100マイルっていうのをやったんです。なんか、辛いから楽しいというか、やっている時は2度と走りたくない感じになるんですけど(笑)、終わった後の達成感がたまらないというか、それも直後よりも一週間とか二週間後にさらなる充実感がじわじわ来る。あれだけ辞めたいって思ったのに、もう地図を見て次はどこを走ろうとか、と考えているのが楽しくて「なんだかんだこれ!」100回やってみようかなってとこで今です(笑)。

内坂:なんで100回(笑)

井原:100マイラーになれたのがすごく嬉しかったんですよ。そして100マイル走ると100マイラーですけど、100マイルを100回やると、10000マイラーになれるんですよね。ぼく、すごい単純なんで10000マイラーっていいなってとこでやり始めてます(笑)。

ー 内坂さんには、今の100マイル信仰みたいなものってどう映っているのですか?

内坂:正直いうとね、ぼくは100マイルは走ったことないんですよ、一度も。それまで散々鏑木さんとか横山さんとか、いろんな人のUTMBを取材に行ってサポートしているわけ。で、その時に「すげーなこいつら」って思うの。「夜も寝ないでばっかじゃねーの?」っていうことから、自分も100キロならできるかな? くらいの気持ちが芽生えてね、ぼくもCCCに出場して、散々な酷いCCCだったんだけどフィニッシュできた。それまでは、いろんなことは知っているけれども、たかだか編集者ですよ。ようやくこれで彼らと口を聞ける、同じ窯の飯を食った仲間、彼らの世界に混ぜてもらえる。そういう気持ちになれたことがすごく嬉しかった。

だから100マイル走ったらね、もっともっと嬉しいと思う。トレイルランナーの100マイルに対する思いって、それだと思うな。100マイルって、多くの人にしてみれば雲の上の存在なわけですよ。誰でもできるわけじゃない。井原さんのおっしゃってた多摩川に行って往復して帰ってくるって、一人じゃできないじゃない。そういうイベントに出たり、レースに出たりしないと難しい。100マイラーになるのは大変。その達成感にも憧れる。

井原:夜もこさなきゃいけないし、食べなきゃいけない。

内坂:うん。職場や家族の理解も必要。だからこそ100マイルを完走すると、素晴らしいものがあるんじゃないかって、そこへの期待もあると思う。

ー トレイルランニング人口も増えているし、100マイルレースも日本でいくつもできて、そうすると100マイラーがどんどん増えてきちゃって、100マイラーがあんまり珍しくなくなってきましたよね。内坂さんの時代の100マイラーのイメージと井原さんの時代の憧れとかと比べると、すごくカジュアル化してきちゃったなっていう感じがしているんですけど、そこらへんどうですか?

井原:ぼくは初めて100マイルって聞いた時はどんな練習していいのかよくわからなかったんですね。で、とにかく知り合いと金曜になったら、夜家に帰って荷物を置いて、トレイルランの道具を持って、奥多摩でわざわざ夜を越すみたいなことをしていたんです。どのくらい長い時間走ったらいいとか、どのくらいの距離を走ればいいとかわからないので、とにかく朝まで走ろうって、そんな練習をしていたんですね。教科書通りっていう教科書がそもそもなかったんです。その頃は雑誌しか情報がなかったんですね。そこにも100マイルの情報は少ない。今ではぼくはコーチなので、まずは半年前にはこういうことして、3カ月前にこう、というマニュアルがあるんですよ。どうやったら効率的になるのか。今ではやっぱり、もういろいろな情報があるんで、どんな練習をすれば、効率的に完走できるかというのは、手に届く範囲が近くなったので100マイラーも増えてきたと思いますね。完走者も増えるんで、そうすると教えてくれる人がいるだけで、近道な感じはします。

ー 内坂さんは「100マイルなんてカンタンだ(ちょっとウソ)」という講習会をやって100マイラーをどんどん生産しているわけですよね。

内坂:知識だったり技術だったり装備だったり、100マイルってのがすごく身近になったかもしれないけども、やっぱり自分の足で100マイルを走らないといけないっていう……。最後は自分なわけじゃないですか。その部分は、十分に手応えというか楽しみというか、誰にも平等に残っているとは思いますよ。アプローチは簡単だけどそこに至るまでのプロセスはやっぱり大変、フィニッシュしたときの充実感はとんでもないものでしょう。

ー トレイルランニングをやる人は30代半ば以降の人たちが多かったですが、最近はもっと若い人が増えてきたような印象がありますね。

内坂:バーティカルとかスカイで若い子が増えてきたのは上田瑠偉さんの影響じゃないかな。かっこいい、トレイルランで飯を食ってる、走ることでお金を稼いで家族を養うというスタイルへの憧れ。ルックスもいいしね。ウルトラの世界で言うと100マイルが身近になってきているから、みんな手を出しやすくなっている。もちろん、情報や講習会も増えてきているね。

井原:100マイルというと過酷っていうのが代名詞みたいなイメージがあったんですけど、それでも昔よりは、楽しいっていう雰囲気があるような気がしますね。格好もファッショナブルになっていますね。今はいろんな派手な格好があったりキャップもかっこよかったりっていうのも、1つの背景として、「あ、やってみようかな」って人が増えたりしているので、入ってくる人も多くなったと思うし、若い子も増えたんじゃないかなっていう感じがします。

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