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Vol.2 井原知一×内坂庸夫 トレイルランニングにまつわる往古来今。
MONTHLY JOURNAL Nov. 2021
Let’s Trail Running The Mountain Together!!

Vol.2 井原知一×内坂庸夫 トレイルランニングにまつわる往古来今。

インディペンデントな国産メーカーが数多く生まれ、若手アスリートの台頭、はたまたフィットネス女子の参入など、着実に人口を伸ばしてきたトレイルランニング。コンペディティブな競技として、山のアクティビティの1つとして、はたまたただの遊びとして、トレイルランニングは今後どのように発展を遂げるべきなのか。黎明期からシーンを見守ってきた編集者の内坂庸夫さんと、日本を代表するトレイルランナー・井原知一さんの対談から探る、トレイルランニングの過去・現在・未来。

(左)内坂庸夫さん(編集者) マガジンハウスの雑誌『POPEYE』『Olive』を経て『Tarzan』に創刊から携わる。2004年に石川弘樹に誘われトレイルラニング体験し、翌年から雑誌『Tarzan』にトレイルラニングの連載を開始。「チームターザン」を結成し、UTMBに挑戦した(させた?)こともある。自身も2012年、13年にUTMBのCCCを完走。日本トレイルランナーズ協会 理事。高尾マナーズ創立メンバー。 (右)井原知一さん(TOMO’S PIT 代表取締役) 100MILES 100TIMES(100マイルを100回走る)を掲げ、2010年11月 にT.D.T.100(多摩川河川敷の160km)を走ってから、2020年10月時点で58本の100マイルを完走。自社でオンラインコーチングを行う他、LDA-RCのコーチとしても活躍。Backyard Ultra Last SAMURAI Standing レースディレクターでもある。

「激走モンブラン!」で大ブレイク。

ー まずは内坂さんから、トレイルランニングという言葉が使われ始めてから今に至るまでの流れ、日本のトレイルランの歴史をごくごく簡単に(笑)振り返っていただけますか?

内坂:ぼくの知る限りの話なんだけれど、日本でトレイルランニングという言葉を使い始めたのは石川弘樹さんだと思う。2002年と2003年にハセツネCUPを連覇している。ハセツネCUPの正式名称は日本山岳耐久レース。東京都山岳連盟という山登りの団体が主催している大会で、ヒマラヤに登るために24時間動き続ける練習という意味合いがあったわけ。だから山岳耐久レース。ハセツネというのは世界的クライマーである長谷川恒男さんの業績を讃え、大会の象徴として長谷川恒男CUPを設けたんだよ。で、「私はトレイルランナーです」という人は誰一人いなかったし、そもそもトレイルランニングって名前がなかった(笑)。そこへ石川弘樹という人間が、トレイルランナーと名乗って出場したの。で、2年連覇しちゃった。

井原:田中正人さんが第1回ハセツネCUPで優勝していますけど、トレイルランナーという認識ではなかったのですね?

内坂:田中さんはアドベンチャーレースのトレーニングだったのかな。もちろんアドベンチャーレースの走る部門はトレイルランニングなんだけども。実は石川さんも田中さんのチームイーストウインドの一員。世界中を巡っているうちに、石川さんは1人で走るトレイルランニングにフォーカスしたくなったんだね。

井原:入り口はイーストウインドだったわけですね。当時、「アドベンチャースポーツマガジン」(山と渓谷社)という本があって、付録のDVDで、ぼくにとっては雲の上の存在の石川さんに「おい石川、こっちだ!」と田中さんが仕切っていて、石川さんも「はい、わかりました」みたいなシーンがあって、すごく衝撃的でしたね。

内坂:まあ、そんなことでね、ぼくの認識としてトレイルランニングが最初に日本に広まったのはそこから。

井原:第1次ブームですかね。

内坂:そうだね、実は石川さんは2007年にGrand Slam of Ultra-running(北米4つの100マイルレース合計タイム)で優勝という、とんでもない活躍をしているんだけど、まだトレイルランの専門誌もなくて、『アドベンチャースポーツマガジン』に載ったくらい、地味な扱いの栄冠だった。で、第2次ブーム。今度はウルトラトレイルが注目されます。2002年、2003年、2005年に富士登山競走で優勝、2005年にハセツネCUPでも優勝した鏑木毅さんが2007年にモンブランで行われる世界一の100マイルレース、UTMBに挑戦。12位だったんだけど、ボロボロ、ひどい目に遭うわけですよ。

井原:車椅子での帰国ですね。

内坂:そう。で、その後の2008年には4位。2009年は3位になる。2008年に『Tarzan』がUTMB特集と題してページをつくったの。鏑木さんに話を聞いて、写真を使わせてもらってね。ぼくはモンブランに行ってもないのに(笑)。そしたら、そのページを見たNHKが「これはやるべきだ!」って。2009年にものすごいお金を使ってUTMBの取材に入ったら、鏑木さんが3位になっちゃった。番組名は『激走モンブラン! 166km山岳レース』、NHK総合とBSハイビジョンで放送。これで第2次トレイルランブームがきたね。

日本におけるトレイルランニング黎明期を詳細に綴ったRUN BOYS! RUN GIRLS! コラム「速い男と速すぎた男」も必読です。

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